明治めいじ)” の例文
こうして、明治めいじ三十四(一九〇一)ねん諭吉ゆきちは、六十八さいの正月しょうがつをむかえました。それは、あたらしい世紀せいき、二十世紀せいきのはじめのとしでした。
このうたつくりかへて、べつかはつた領分りようぶんひらいたものがあります。それは明治めいじになつてんだ京都きようと蓮月れんげつといふあまさく
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
そして明治めいじ時代じだいになつて、いろ/\日本につぽん學者がくしや研究けんきゆうをはじめ、また大阪おほさか造幣局ぞうへいきよくてをつた英國人えいこくじんのゴーランドといふひとなどが、やりしたのでありました。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
「もう失敗してもいない。おれは昔の怜悧者りこうものではない。おれは明治めいじの人間だ。明治の天子様は、たとえ若崎が今度失敗しても、畢竟ひっきょうみとめて下さることを疑わない」
鵞鳥 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
が、大体を明かにすれば、伝吉は維新いしん後材木商を営み、失敗に失敗を重ねた揚句あげく、とうとう精神に異状を来した。死んだのは明治めいじ十年の秋、行年ぎょうねんはちょうど五十三である。
伝吉の敵打ち (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
明治めいじねんなんだぜ。まだ、うちのおとうさんもおかあさんも、まれないまえのだよ。その時分じぶんから、日本にっぽんじゅうをぐるぐるまわっていたんだ。そうおもって、ぼく大事だいじにしているのさ。
一銭銅貨 (新字新仮名) / 小川未明(著)
南部なんぶの紫紺染は、むかしは大へん名高いものだったそうですが、明治めいじになってからは、西洋せいようからやすいアニリン色素しきそがどんどんはいって来ましたので、一向いっこうはやらなくなってしまいました。
紫紺染について (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
日本の天皇で有名なのは、神武、天智、後醍醐ごだいご明治めいじの四人であるが、ほんとうに英雄とか、偉人とかいうほどの人物ではなかった。明治以後、天皇尊崇そんすうの名が、政略的に高くかかげられた。
明治めいじねんぐわつ關寛せきくわんしるす。
養生心得草 (旧字旧仮名) / 関寛(著)
明治めいじ何年なんねん何月なんげつ何日なんにち
こうして、明治めいじ五(一八七二)ねん武揚たけあきは、ゆるされてろうやからでてきました。けれども、そのおかあさんは、病気びょうきですでになくなっていました。
ところが明治めいじになつて、ふる歴史れきしのある日本につぽん短歌たんか改正かいせいして、新派和歌しんぱわかといふものをとなした一人ひとり正岡子規まさをかしきといふひと第一だいゝちにこのうたわらひました。
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
「そうね、おおきいから、大正たいしょうか、明治めいじにちがいないわ。」
一銭銅貨 (新字新仮名) / 小川未明(著)
明治めいじ四(一八七一)ねんには、いままでのはんをやめて、あたらしくけんをおくことになりました。とのさまも、政府せいふ役人やくにんとおなじになったわけです。
このひと明治めいじ以後いご新派しんぱ和歌わかといふものに、非常ひじよう影響えいきようあたへたひとですが、それまではあまりひとからさわがれなかつたのです。江戸えどすゑから明治めいじはじめにかけてきてゐたひとです。
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)