攀登よじのぼ)” の例文
その薦包こもづつみの固い山を攀登よじのぼって暗い天井の方へ突進して行くと、藁のにおいがふと興奮をそそる。見下ろす足許は深い谷底になっていた。
昔の店 (新字新仮名) / 原民喜(著)
私たちは水際みずぎわを廻って崖の方へ通ずる小径こみち攀登よじのぼって行くと、大木の根方ねがたじじいが一人腰をかけて釣道具に駄菓子やパンなどを売っている。
重太郎ははり黙っていた。が、やがてかたえの岩蔭にそびえたる山椿の大樹に眼をけると、彼はたちまち猿のようにの梢にするすると攀登よじのぼった。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
口も利かずに黙って腰かけているお島は、ふと女坂を攀登よじのぼって、石段の上の平地へ醜い姿を現す一人の天刑病てんけいびょうらしいいざりの乞食が目についたりした。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
行手はならの密生林で、それ以上は先へ進まれぬので、この辺でよかろうと繩で輪差わさをこしらえて高木の首を嵌込み、その端を持ってけやきの木へ攀登よじのぼった。
湖畔 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
そして其処そこへ近寄ると思わぬ災厄に遭うと云い伝えられていたし、そうでなくとも一番近い村里から五里に余るけわしい道を攀登よじのぼらなければならないので
松風の門 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
主屋の桁に職人が攀登よじのぼった。威勢の好い懸声で仕事が始った。手塚はいつになく頻りに幸雄に話しかけた。
牡丹 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
独語ひとりごとをいいながら其の樹に攀登よじのぼり、矢を抜いて見ますと、最早竹のしょうけて枯枝同然、三四年も前から雨曝あまざらしになっていたものと見えて、ぽき/\と折れまする。
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
上の方に攀登よじのぼるのに綱を頭上の巌にヒョイと投げかけ、それを足代に登りかけると上の巌が壊れて崩れかかるという仕末しまつで、その危険も一通りや二通りではありません
越中劍岳先登記 (新字新仮名) / 柴崎芳太郎(著)
と、藤吉は飛鳥のごとくやにわに随全寺の崩れ石垣を攀登よじのぼった。遅れじと勘次が続こうとすると
余吾之介はそのまま、小屋の後へ廻って、水面に臨んだ老樹の桜へ、ましらの如く攀登よじのぼりました。
十字架観音 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
きざはしの、あの擬宝珠ぎぼしゅの裂けた穴も昔のままで、この欄干を抱いて、四五尺、すべったり、攀登よじのぼったか、と思うと、同じ七つ八つでも、四谷あたりの高い石段に渡した八九けんの丸太を辷って
菊あわせ (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
暫くして、そばだつ岩壁にぶつかる。水が其の壁面をすだれのように浅く流れ下っている。其の水は直ぐ地下に潜って見えなくなって了う。岩壁は攀登よじのぼれそうもないので、木を伝って横の堤に上る。
光と風と夢 (新字新仮名) / 中島敦(著)
二万尺の山岳を攀登よじのぼるなんて凡人の企て及ぶところではないが、カイラースの湖畔は、「この世のものと思われぬ」が、これは現世の楽園であると、長谷川氏の云っている印度の西北の高地
軽井沢にて (新字新仮名) / 正宗白鳥(著)
我の父母より授かりしたいは今日我の有する体にあらざりしなり、我に永生にまで至るべきの肉体なかりしも、我よく百年の労働と快楽とに堪ゆる霊のうつわを有せり、あおいでは千仞せんじんの谷を攀登よじのぼるべし
基督信徒のなぐさめ (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
一方にはその名さえ気味の悪い切支丹坂きりしたんざかななめに開けそれと向い合っては名前を忘れてしまったが山道のような細い坂が小日向台町こびなただいまちの裏へと攀登よじのぼっている。
それでも彼はなお一方の血路けつろを求めて、ある人家の屋根へ攀登よじのぼった。茅葺かやぶき板葺こけら瓦葺かわらぶきの嫌いなく、隣から隣へと屋根を伝って、彼は駅尽頭しゅくはずれの方へ逃げて行った。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「ええ感違いなんかしやあしません木登りです、手と足を使って樹へ攀登よじのぼるあれでしょう、わかっていますよ、ちょうどこれからしゅんに向うときですから申し分がありません、早速やります」
評釈勘忍記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
上と下とて遥かに呼び合っていたが、何を云うにも屏風びょうぶのような峭立きったて懸崖けんがい幾丈いくじょう、下では徒爾いたずら瞰上みあげるばかりで、攀登よじのぼるべき足代あししろも無いには困った。其中そのうちに、上では気がいたらしい。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
この暗鬱な一隅から僅に鉄道線路の土手一筋を越えると、そのむこうにはひろびろした火避地を前に控えて、赤坂御所の土塀どべいいぬいの御門というのを中央なかにして長い坂道をば遠く青山の方へ攀登よじのぼっている。