おそ)” の例文
黒吉は、何かわからぬゾッとしたおそれに、ぶるぶる顫えながら、思わず腕の痛みも忘れて、胸から腹、腹から腰と撫ぜて見た。
夢鬼 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
下谷したや外祖父がいそふ毅堂きどう先生の詩に小病無名怯暮寒小病しょうびょうく 暮寒ぼかんおそる〕といはれしもかくの如き心地にや。
矢はずぐさ (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
万事をその神の御思慮にしたがわせ奉らば、さてこともなかるべきを、いかなればかこの世のほかの憂懶ゆうらんおそれて、覚なき後の栄華を求めむずらむ
通俗講義 霊魂不滅論 (新字新仮名) / 井上円了(著)
単于ぜんうは漢兵の手強てごわさに驚嘆し、おのれに二十倍する大軍をもおそれず日に日に南下して我を誘うかに見えるのは、あるいはどこか近くに、伏兵があって
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
そうだ! あんないやしい人間におそれてなるものか。の男こそ、自分の清浄な処女おとめほこりの前に、じ怯れていゝのだ。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
籠の中の鳥は、籠の揺れるのをおそれてか、止まり木をしっかり攫んで、羽をすぼめるようにして、身動きもしない。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
いはんや彼人は物におそるゝこと鹿子かのこの如く、同じ席につらなるものもたやすく近づくこと能はざるを奈何せん。われは必ずしもかの人心より此の如しと説かず。
「殺人犯で、懲役五箇年です。」緩やかな、力の這入った詞で、真面目な、憂愁を帯びた目を、おそもなく、大きく睜って、己を見ながら、こう云った。
冬の王 (新字新仮名) / ハンス・ランド(著)
挙止とりなりきゃんにして、人をおそれざる気色けしきは、世磨よずれ、場慣れて、一条縄ひとすじなわつなぐべからざる魂を表わせり。
義血侠血 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
やらせるなどと言いくさる。この年になって若い者におそれを取ったら神田一門の名折れじゃと、恥を忍んで聴きにいったよ、お前さんの高座を。するとうまい。滅法いい
寄席 (新字新仮名) / 正岡容(著)
紋羽二重もんはぶたへ小豆鹿子あづきかのこ手絡てがらしたる円髷まるわげに、鼈甲脚べつこうあし金七宝きんしつぽうの玉の後簪うしろざしななめに、高蒔絵たかまきゑ政子櫛まさこぐしかざして、よそほひちりをもおそれぬべき人のひ知らず思惑おもひまどへるを、可痛いたはしのあらしへぬ花のかんばせ
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
何事と眉をひそむる瀧口を、重景はおそろしげに打ちみまも
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
このおそろしい一致いっちは。おそれずになお仔細しさいるならば、前世に喚起かんきした、その前々世の記憶の中に、恐らくは、前々々世の己の同じ姿を見るのではなかろうか。
木乃伊 (新字新仮名) / 中島敦(著)
牡牛おうしのようにおおきい勝平と相対していながら、彼女は一度だって、おそれたことはなかった。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
「寝るんだよ。」と、もう一度、今度はやや烈しい口調で彼は言った。彼女はおそれたように身を退いた。
プウルの傍で (新字新仮名) / 中島敦(著)
始めよ。仮令たとえ、医者が汝に一年の、或いは一月の余生すら保証せずとも、おそれずして仕事に向い、而して、一週間に為され得る成果を見よ。我々が意義ある労作を
光と風と夢 (新字新仮名) / 中島敦(著)