“并(あは)” の例文
「君は人間の立つてゐる時の服装の美醜ばかり論じてゐる。坐つてゐる時の服装の美醜も并(あは)せて考へて見なければいかん。」
正岡子規 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
皇子(みこ)等(たち)共に対(こた)へて曰(いは)く、理実(ことわり)灼然(いやちこ)なり。則ち草壁皇子尊先(ま)づ進みて盟ひて曰(いは)く、天神(あまつかみ)地祇(くにつかみ)、及び天皇(すめらみこと)証(あきら)めたまへ、吾(おの)れ兄弟長幼、并(あは)せて十余の王(みこ)、各(おのおの)異腹(ことはら)より出(い)づ。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
起(き)を撃(う)つの徒(と)、呉起(ごき)を射刺(せきし)するに因(よ)つて、并(あは)せて悼王(たうわう)に中(あ)つ。悼王(たうわう)既(すで)に葬(はうむ)られて、太子(たいし)立(た)つ。乃(すなは)ち(一一〇)令尹(れいゐん)をして盡(ことごと)く呉起(ごき)を射(い)て并(あは)せて王(わう)の尸(し)に中(あ)てし者(もの)を誅(ちう)せしむ。
餘姚(よえう)も亦博愛を更(あらた)めて公愛と爲せり。并(あは)せ攷(かんが)ふ可し。
并(あは)せて皇子大津が為めに、詿誤(あざむ)かれたる直広肆八口朝臣音橿(ぢきくわうしやくちのあそみおとかし)、小山下壱伎連博徳(せうせんげいきのむらじはかとこ)と、大舎人中臣朝臣臣麻呂(おほとねりなかとみのあそみおみまろ)、巨勢朝臣多益須(こせのあそみたやかす)、新羅(しらぎ)の沙門行心(ほふしぎやうじん)、及び張内礪杵道作(とねりときのみちつくり)等卅余人を捕ふ。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
要(えう)は兵(へい)を彊(つよ)くし(一〇六)馳説(ちぜい)の(一〇七)從横(しようくわう)を言(い)ふ者(もの)を破(やぶ)るに在(あ)るなり。是(ここ)に於(おい)て南(みなみ)は百越(ゑつ)を平(たひ)らげ、北(きた)は陳蔡(ちんさい)を并(あは)せ(一〇八)三晉(しん)を却(しりぞ)け、西(にし)は秦(しん)を伐(う)つ。諸矦(しよこう)、楚(そ)の彊(つよ)きを患(うれ)ふ。
乃(すなは)ち其(その)(四九)歩軍(ほぐん)を棄(す)て、其(その)(五〇)輕鋭(けいえい)と、(五一)日(ひ)を倍(ばい)し行(かう)を并(あは)せて之(これ)を逐(お)へり。孫子(そんし)、其行(そのかう)を度(はか)るに、暮(くれ)に當(まさ)に馬陵(ばりよう)に至(いた)るべし。馬陵(ばりよう)は道(みち)狹(せま)くして旁(かたは)ら(五二)阻隘(そあい)多(おほ)く、兵(へい)を伏(ふく)す可(べ)し。
韓非(かんぴ)は韓(かん)の諸公子(しよこうし)也(なり)。今(いま)、王(わう)、諸矦(しよこう)を并(あは)せんと欲(ほつ)す。