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ほうぎょ
ふりがな文庫
“
崩御
(
ほうぎょ
)” の例文
これは明治天皇
崩御
(
ほうぎょ
)
の時の思い出である。私は明治四十二年の夏の生れであるから、この時は、かぞえどしの四歳であった
筈
(
はず
)
である。
苦悩の年鑑
(新字新仮名)
/
太宰治
(著)
東郷大将
(
とうごうたいしょう
)
の名は知って居るが、天皇陛下を知らぬ。
明治天皇
(
めいじてんのう
)
崩御
(
ほうぎょ
)
の際、妻は天皇陛下の概念を其原始的頭脳に
打込
(
うちこ
)
むべく大骨折った。
みみずのたはこと
(新字新仮名)
/
徳冨健次郎
、
徳冨蘆花
(著)
それは
先年
(
せんねん
)
西海
(
せいかい
)
の
果
(
はて
)
に
崩御
(
ほうぎょ
)
あらせられた
貴人
(
きじん
)
の
御霊
(
みたま
)
であったが、それを拝すると共に
眼前
(
めさき
)
が
暗
(
くら
)
んで馬から落ちたのだと云う噂であった。
頼朝の最後
(新字新仮名)
/
田中貢太郎
(著)
皇太后もおいでになるはずであったが、中宮がずっと院に添っておいでになる点が御不満で、
躊躇
(
ちゅうちょ
)
あそばされたうちに院は
崩御
(
ほうぎょ
)
になった。
源氏物語:10 榊
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
すると夏の暑い盛りに
明治天皇
(
めいじてんのう
)
が
崩御
(
ほうぎょ
)
になりました。その時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました。
こころ
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
▼ もっと見る
たしか尋常六年の時に、明治天皇が
崩御
(
ほうぎょ
)
されたように記憶しているので、私の小学校時代は、明治の末期に当るわけである。
簪を挿した蛇
(新字新仮名)
/
中谷宇吉郎
(著)
種々
(
さまざま
)
な流言の伝わって来る主上の
崩御
(
ほうぎょ
)
に際会して見ると、もはやそんな
生
(
なま
)
やさしいことで救われる時とは見えなかった。
夜明け前:02 第一部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
天武天皇
崩御
(
ほうぎょ
)
のとき皇太子(草壁皇子)がまだ若かったので(当時は幼帝を立てる例がなかった)皇太后が
摂政
(
せっしょう
)
した。
道鏡
(新字新仮名)
/
坂口安吾
(著)
武帝の
崩御
(
ほうぎょ
)
も昭帝の即位もかつてのさきの
太史令
(
たいしれい
)
司馬遷
(
しばせん
)
の
脱殻
(
ぬけがら
)
にとってはもはやなんの意味ももたないように見えた。
李陵
(新字新仮名)
/
中島敦
(著)
ほとんど病苦のその身にあることを知られなかったようであった。
崩御
(
ほうぎょ
)
の数日前、今のカイゼルを
枕頭
(
ちんとう
)
に召され
自警録
(新字新仮名)
/
新渡戸稲造
(著)
伺候
(
しこう
)
奉仕するものもないような深山の
藪
(
やぶ
)
の下に
崩御
(
ほうぎょ
)
されていようとは、まったく思いもかけないことであった。
雨月物語:02 現代語訳 雨月物語
(新字新仮名)
/
上田秋成
(著)
人の命ほどわからないものはありません。わからないといえば、この四十五年は明治大帝
崩御
(
ほうぎょ
)
の年でした。
鴎外の思い出
(新字新仮名)
/
小金井喜美子
(著)
そしてその年の秋八月には、おもいがけない父のきみ後醍醐の
崩御
(
ほうぎょ
)
に付き添われたのであった。
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
部落は平和に富み栄え、壺皇子は数百年活き延びたが、天寿終って
崩御
(
ほうぎょ
)
するや、人民達はその
死骸
(
なきがら
)
を林の中へ埋葬し神に祀って壺神様と云った。御神体は活ける剣である。
加利福尼亜の宝島:(お伽冒険談)
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
光明后
崩御
(
ほうぎょ
)
の時には全国の諸寺が供養を営んで阿弥陀浄土の画像などを造ったが、特に一周忌の営みのためには、全国の国分尼寺に阿弥陀
丈六像
(
じょうろくぞう
)
一躯・
脇侍
(
わきじ
)
菩薩二躯を造ると共に
古寺巡礼
(新字新仮名)
/
和辻哲郎
(著)
郷里からあまり遠くないA村に
木
(
き
)
の
丸
(
まろ
)
神社
(
じんじゃ
)
というのがある。これは
斉明天皇
(
さいめいてんのう
)
を祭ったものだと言われている。天皇が
崩御
(
ほうぎょ
)
になった九州のある地方の名がすなわちこの村の名になっている。
田園雑感
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
散々
(
ちりぢり
)
になって、このあたりの村々で亡くなった、それを神に祭って「
后
(
きさき
)
の
宮
(
みや
)
」と
崇
(
あが
)
めてあること、帝が
崩御
(
ほうぎょ
)
あそばした時、神となって飛ばせ給うところの山を「
天子
(
てんし
)
ヶ
岳
(
たけ
)
」と呼び奉ること
大菩薩峠:08 白根山の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
それは明治天皇
崩御
(
ほうぎょ
)
の年の秋であった。
葛飾土産
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
先帝
崩御
(
ほうぎょ
)
のおりの大赦がなかったら、正胤もどうなっていたかわからなかった。この人のことは正香もくわしい。
夜明け前:04 第二部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
これに増補
改刪
(
かいさん
)
推敲
(
すいこう
)
を加えているうちにまた数年がたった。
史記
(
しき
)
百三十巻、五十二万六千五百字が完成したのは、すでに
武帝
(
ぶてい
)
の
崩御
(
ほうぎょ
)
に近いころであった。
李陵
(新字新仮名)
/
中島敦
(著)
午後東京から来た学生の一人が、天皇陛下
今暁
(
こんぎょう
)
一時四十三分
崩御
(
ほうぎょ
)
あらせられたと云う事を告げた。
みみずのたはこと
(新字新仮名)
/
徳冨健次郎
、
徳冨蘆花
(著)
ために、座中白け渡って見えた時、折も折、霊帝がたった今
崩御
(
ほうぎょ
)
されたという報らせが入った。
三国志:02 桃園の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
こんなことを源氏が言っているうちに、あかりが消えていくように女院は
崩御
(
ほうぎょ
)
あそばされた。
源氏物語:19 薄雲
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
崩御
(
ほうぎょ
)
の報知が伝えられた時、父はその新聞を手にして、「ああ、ああ」といった。
こころ
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
その意味から言って、飽くまで公武一和を念とせられ、王政復古を急ぐ岩倉公らを戒められたという先帝の
崩御
(
ほうぎょ
)
ほど、この慶喜にとっての深い打撃はなかった。
夜明け前:02 第一部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
陛下の
崩御
(
ほうぎょ
)
は明治史の巻を
閉
(
と
)
じた。明治が大正となって、余は吾生涯が
中断
(
ちゅうだん
)
されたかの様に感じた。明治天皇が余の
半生
(
はんせい
)
を持って往っておしまいになったかの様に感じた。
みみずのたはこと
(新字新仮名)
/
徳冨健次郎
、
徳冨蘆花
(著)
後宇多法皇
崩御
(
ほうぎょ
)
の
訃
(
ふ
)
が聞えたのは、前月の月の末だった。——当然、鎌倉の柳営でも、数日間は、
音曲
(
おんぎょく
)
は
停止
(
ちょうじ
)
され、それからしばらくの間も、
諒闇
(
りょうあん
)
の
喪
(
も
)
が令されていたからである。
私本太平記:01 あしかが帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
先帝
崩御
(
ほうぎょ
)
の影響がどこまで及んで行くかはほとんど測りがたい、と景蔵の便りには言ってある。
夜明け前:02 第一部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
「されば
崩御
(
ほうぎょ
)
は過ぐる十六日の夜と、ただいま、
確
(
かく
)
たる報なので」
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
崩御
(
ほうぎょ
)
の、つい前日にさえ。
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“崩御”の解説
崩御(ほうぎょ、崩󠄁御)は、天皇、皇帝、国王(女王)等の君主や、太皇太后(太王太后)、皇太后(王太后)、皇后、上皇、上皇后、王妃などの死亡を表す最高敬語。
中国においては、主に『礼記』等にも見られる「駕崩」(がほう)の語が用いられる。
本項では、これらに準じる「薨去」(こうきょ)などについても扱っている。
(出典:Wikipedia)
崩
常用漢字
中学
部首:⼭
11画
御
常用漢字
中学
部首:⼻
12画
“崩”で始まる語句
崩
崩折
崩壊
崩壞
崩潰
崩殂
崩壞物
崩落
崩穴
崩頽