“諒闇”のいろいろな読み方と例文
読み方 | 割合 |
---|---|
りょうあん | 68.8% |
りやうあん | 25.0% |
りようあん | 6.3% |
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
諒闇の喪に服して、全国は管絃の音も聞かなかつた。日本は之から変るだらうと新見は考へたが貧民窟は相も変らず、凡て外側のことには無関係であつた。
“諒闇”の意味
《名詞》
天子や天皇がその父母の死に際し服喪する期間。
(出典:Wiktionary)
(出典:Wiktionary)
“諒闇”の解説
諒闇(りょうあん)とは、儒教の関連文句で、「礼記」にあるように父母が亡くなった後に「喪を行う部屋や建物」という意味で、転じて「喪に服す」という意味として古代中国では使われることが多い。事実、五世紀を語る『宋書』「倭国伝」には「奄に父兄を喪い、垂成の功をして一簣を獲ざらしむ。居しく諒闇にあり兵甲を動かさず(奄喪父兄、使垂成之功、不獲一簣。居在諒闇、不動兵甲礼記)」と諒闇という文句がでてくる。 「礼記」では「喪は三年」とあるようにかなり長い期間、身を慎み親に孝を尽くすとある。
この儒教「礼記」を模範として、日本では天皇が父母の崩御にあたり喪に服する期間を諒闇と言うようになった。そして、日本の天皇の大喪の期間は1年間だが、後に仁明天皇により喪服を着る期間を13日間として、1年間は心喪に服せばよいとされた。
(出典:Wikipedia)
この儒教「礼記」を模範として、日本では天皇が父母の崩御にあたり喪に服する期間を諒闇と言うようになった。そして、日本の天皇の大喪の期間は1年間だが、後に仁明天皇により喪服を着る期間を13日間として、1年間は心喪に服せばよいとされた。
(出典:Wikipedia)
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