諒闇りょうあん)” の例文
例年は正月の十一日は大法会だいほうえがあるはずなのが、去年は諒闇りょうあんのことがあったり、天下多事の際、遠慮してこの秋まで延ばされたものらしい。
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
昨年の三月、諒闇りょうあんの春を迎えたころから再度の入洛を思い立って来て、正香らと共にずっと奔走を続けていた人に中津川本陣の浅見景蔵がある。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
諒闇りょうあん中の黒い車に乗った喪服姿の源氏は平生よりもすぐれて見えるわけもないが、美貌びぼうに心のかれない人もなかった。
源氏物語:10 榊 (新字新仮名) / 紫式部(著)
諒闇りょうあん中に、皇太子が侍女と私通した。女帝から訓戒を加えたけれども、その後も素行そこうが修まらない。
道鏡 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
文禄二年正月五日には正親町おゝぎまち上皇が崩御遊ばされて、諒闇りょうあんの世になったにも拘わらず、彼は関白の職にありながら精進潔斎することを怠り、十六日の夕食に鶴を食べた。
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
月のついたちで、八幡様に神官が来て、お神酒みきあがる。諒闇りょうあん中の御遠慮で、今日は太鼓たいこも鳴らなかった。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
後宇多法皇崩御ほうぎょが聞えたのは、前月の月の末だった。——当然、鎌倉の柳営でも、数日間は、音曲おんぎょく停止ちょうじされ、それからしばらくの間も、諒闇りょうあんが令されていたからである。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かくて上下憂愁のうちに諒闇りょうあんの春を迎え、昭和二年の御代となりました。
クサリ切っているところに明治天皇さまの御不例から諒闇りょうあんで、歌舞音曲は停止、そのうえ千葉秀甫がだんだん本性を現わして、三浦政太郎という者がいるのにもかかわらず、しつこく私につきまといかけ
お蝶夫人 (新字新仮名) / 三浦環(著)
その年は前年凶作のあとをうけ、かつは諒闇りょうあんのことでもあり、宿内倹約を申し合わせて、正月定例の家祈祷いえきとうにすら本陣では家内限りで蕎麦そば切りを祝ったくらいである。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
年が変わっても諒闇りょうあんの春は寂しかった。源氏はことさら寂しくて家に引きこもって暮らした。
源氏物語:10 榊 (新字新仮名) / 紫式部(著)
諒闇りょうあんの黒布を瞬く間に全天におおうたり、摩天まてん白銅塔はくどうとうを見る間に築き上げては奈翁なぽれおんの雄図よりも早く微塵みじんに打崩したり、日々眼を新にする雲の幻術げんじゅつ天象てんしょうの変化を、出て見るも好い。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
ちょうど、その年の三月は諒闇りょうあんの春をも迎えた。友人らのって行った後、半蔵は店座敷にもどって東南向きの障子をあけて見た。山家も花のさかりではあるが、年が年だけにあたりは寂しい。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
去年は諒闇りょうあんで五節のなかったせいもあって、だれも近づいて来る五節に心をおどらせている年であるから、五人の舞い姫を一人ずつ引き受けて出す所々では派手はでが競われているという評判であった。
源氏物語:21 乙女 (新字新仮名) / 紫式部(著)