トップ
>
宝暦
>
ほうれき
ふりがな文庫
“
宝暦
(
ほうれき
)” の例文
政談月の鏡と申す
外題
(
げだい
)
を置きまして申し
上
(
あぐ
)
るお話は、
宝暦
(
ほうれき
)
年間の町奉行で
依田豐前守
(
よだぶぜんのかみ
)
様の御勤役中に長く掛りました裁判でありますが
政談月の鏡
(新字新仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
唐の
宝暦
(
ほうれき
)
年中、
循州河源
(
じゅんしゅうかげん
)
に
蒋武
(
しょうぶ
)
という男があった。骨格たくましく、豪胆剛勇の生まれで、山中の巌窟に独居して、狩猟に日を送っていた。
中国怪奇小説集:07 白猿伝・其他(唐)
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
もっとも千本桜の作者は竹田
出雲
(
いずも
)
だから、あの脚本の出来たのは少くとも
宝暦
(
ほうれき
)
以前で、安政二年の由来書きの方が新しいと云う疑問がある。
吉野葛
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
遠くは
菱川師宣
(
ひしかわもろのぶ
)
の『狂歌
旅枕
(
たびまくら
)
』、近くは
宝暦
(
ほうれき
)
初年
西村重長
(
にしむらしげなが
)
の『
江戸土産
(
えどみやげ
)
』及び
明和
(
めいわ
)
に入りて鈴木春信が『続江戸土産』の
梓行
(
しこう
)
あるに過ぎざりしが
江戸芸術論
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
宝暦
(
ほうれき
)
二年、二十一歳で長崎に勉強をしに行った時、長々
寄泊
(
きはく
)
して親よりましな親身な世話を受けた
本籠町
(
もとかごまち
)
海産問屋、
長崎屋藤十郎
(
ながさきやとうじゅうろう
)
の妹娘の
鳥
(
とり
)
というのが
平賀源内捕物帳:長崎ものがたり
(新字新仮名)
/
久生十蘭
(著)
▼ もっと見る
着物の
縞柄
(
しまがら
)
としては
宝暦
(
ほうれき
)
ごろまでは横縞よりなかった。縞のことを
織筋
(
おりすじ
)
といったが、織筋は横を意味していた。
「いき」の構造
(新字新仮名)
/
九鬼周造
(著)
岸島出三郎
(
きしじまいでさぶろう
)
はその日をよく覚えている。それは
宝暦
(
ほうれき
)
の二年で、彼が二十一歳になった年の三月二日であった。
艶書
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
宝暦
(
ほうれき
)
三年(一七五三)の『番所日記』には、それでもまだ七百六十七人とあるのに、最近は十戸という報告もあり、或いは新たなる移住者が招き寄せられて
海上の道
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
五世弥五右衛門は鉄砲十挺頭まで勤めて、
元文
(
げんぶん
)
四年に病死した。六世弥忠太は
番方
(
ばんかた
)
を勤め、
宝暦
(
ほうれき
)
六年に
致仕
(
ちし
)
した。七世九郎次は番方を勤め、安永五年に致仕した。
興津弥五右衛門の遺書
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
宝暦
(
ほうれき
)
頃から
明和
(
めいわ
)
にかけて三都、頭巾の
大流行
(
おおばや
)
り、男がた
女形
(
おんながた
)
、
岡崎
(
おかざき
)
頭巾、
露
(
つゆ
)
頭巾、がんどう頭巾、
秀鶴
(
しゅうかく
)
頭巾、お
小姓
(
こしょう
)
頭巾、なげ頭巾、猫も
杓子
(
しゃくし
)
もこの
風
(
ふう
)
に
粋
(
すい
)
をこらして
鳴門秘帖:01 上方の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
若い人は
筑前
(
ちくぜん
)
の
出生
(
うまれ
)
、博多の
孫一
(
まごいち
)
と云ふ
水主
(
かこ
)
でね、十九の年、……七年前、福岡藩の米を積んだ、千六百
石
(
こく
)
の
大船
(
たいせん
)
に、
乗組
(
のりくみ
)
の
人数
(
にんず
)
、船頭とも二十人、
宝暦
(
ほうれき
)
午
(
うま
)
の
年
(
とし
)
十月六日に
印度更紗
(新字旧仮名)
/
泉鏡花
(著)
人皇
(
じんのう
)
百十六代桃園天皇の御治世。徳川中興の名将軍吉宗公の後を受けた天下泰平の真盛り。九代家重公の
宝暦
(
ほうれき
)
の初めっ方。京都の島原で一と云われる松本楼に満月という
花魁
(
おいらん
)
が居た。
名娼満月
(新字新仮名)
/
夢野久作
(著)
文身
(
ほりもの
)
というのは、元は罪人の
入墨
(
いれずみ
)
から起ったとも、野蛮人の猛獣脅しから起ったとも言いますが、これが盛んになったのは、
元禄
(
げんろく
)
以後、特に
宝暦
(
ほうれき
)
、
明和
(
めいわ
)
、
寛政
(
かんせい
)
と加速度で発達したもので
銭形平次捕物控:007 お珊文身調べ
(新字新仮名)
/
野村胡堂
(著)
延享
(
えんきょう
)
元年の六月十一日
御目附
(
おめつけ
)
から致して町奉行役を仰付けられ
宝暦
(
ほうれき
)
三年の三月廿八日にはもう
西丸
(
にしまる
)
の
御槍奉行
(
おやりぶぎょう
)
に転じました事でございます。
政談月の鏡
(新字新仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
しかしてこれに配置せられたる群集
雑沓
(
ざっとう
)
の状もまた模様風にして
宝暦
(
ほうれき
)
頃
鳥居清満
(
とりいきよみつ
)
が
紅絵
(
べにえ
)
の風景を想起せしむるものあり。
江戸芸術論
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
素
(
もと
)
二人の女は
安房国朝夷郡真門村
(
あわのくにあさいごおりまかどむら
)
で由緒のある
内木四郎右衛門
(
うちきしろえもん
)
と云うものの娘で、姉のるんは
宝暦
(
ほうれき
)
二年十四歳で、市ヶ谷門外の
尾張中納言宗勝
(
おわりちゅうなごんむねかつ
)
の奥の軽い召使になった。
じいさんばあさん
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
宝暦
(
ほうれき
)
六年、二代目を継いで
上上吉
(
じょうじょうきち
)
に進み、
地芸
(
じげい
)
と所作をよくして『
古今無双
(
ここんむそう
)
の
艶者
(
やさもの
)
』
平賀源内捕物帳:萩寺の女
(新字新仮名)
/
久生十蘭
(著)
時雨堂
(
しぐれどう
)
では、俵一八郎と万吉が、だんだんと話をすすめて、
宝暦
(
ほうれき
)
の変以来、阿波の秘密を見破ろうとしてつぶさに苦心を
舐
(
な
)
めてきた実情を明かしたので、銀五郎も、さてはそうであったかと
鳴門秘帖:01 上方の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
本郷菊坂に
世帯
(
しょたい
)
を持って居りましたが丁度あの
午年
(
うまどし
)
の大火事のあった時、
宝暦
(
ほうれき
)
十二年でございましたかね、其の時私は十七で子供を産んだのですが
真景累ヶ淵
(新字新仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
ここに
暫
(
しばら
)
く葛飾北斎が画家としての閲歴を見るに、彼は
宝暦
(
ほうれき
)
年間に生れその
齢
(
よわい
)
歌麿より
少
(
わか
)
き事
僅
(
わずか
)
に七年なり。
江戸芸術論
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
宝暦
(
ほうれき
)
九年に登勢が二十九歳で
女
(
むすめ
)
千代
(
ちよ
)
を生んだ。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
長男名は典、字は伯経、通称は
次右衛門
(
じえもん
)
、竹渓と号した。その没年より
溯算
(
そさん
)
すれば
宝暦
(
ほうれき
)
十二年に生れた。次子名は吉についてはわたくしは知る所がない。三男名は混、字は子泉、松隠と号した。
下谷叢話
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
“宝暦”の意味
《固有名詞》
日本の元号の一つ。寛延の次で、明和の前。1751年12月14日から1764年6月30日までの期間のこと。
(出典:Wiktionary)
宝
常用漢字
小6
部首:⼧
8画
暦
常用漢字
中学
部首:⽇
14画
“宝暦”で始まる語句
宝暦変
宝暦現来集