)” の例文
旧字:
俳諧の月並みにしたのは、——そんなことは今更弁ぜずとも好い。月並みの喜劇は「芭蕉雑談」の中に子規居士こじも既に指摘してゐる。
芭蕉雑記 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
「焦土を奪って、なんの誇るところがあろう。かかる間にも、兵はおごり、気はしてくる。ゆるまぬうちに、疾く追撃にかかり給え」
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
三途まで奈落へして、……といって、自殺をするほどの覚悟も出来ない卑怯ひきょうものだから、冥途めいど捷径ちかみちの焼場人足、死人焼しびとやきになって、きもを鍛えよう。
卵塔場の天女 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
この淫蕩ってやつの中にゃなんといっても、自然に根底を持った、空想にさない、一種恒久なものがありますよ。
大乗の欣求ごんぐもあり得ないわけでございます、大乗はにして、小乗はなんなりと偏執へんしゅうしてはなりませぬ、難がなければ易はありませぬ、易にしては難がけませぬ
大菩薩峠:32 弁信の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
江戸前の寿司というものは、よほど注目にあたいし、魅力に富むものらしい。握りが自慢になるのは、上方かみがた寿司の風情ふぜいのみにし、生気せいきを欠くところに比較してのことである。
握り寿司の名人 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
現在藁草履を穿いている様もべず、藁草履の新なことにも言及せず、ただ「元朝にはくべき物や」という風に語を下し来ったため、やや観念的にしたきらいはあるけれども
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
やがて無政府主義におちいるが、逆に個人の価値を忘れて、絶対的な団体主義を説いていると、やがて「国民なき国家」というような専制主義、全体主義、権力国家主義にする。
政治学入門 (新字新仮名) / 矢部貞治(著)
今日名のある大島紬おおしまつむぎとか薩摩上布さつまじょうふ等呼ぶ微細な模様の絣はずっと後のもので、むしろ技巧にしたものに外なりません。沖縄自身のものは遥かに健全で確実で本格的な仕事です。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
ややもすれば「貧困の中にただ貧困をのみ見る」態度にする危険性を十分もっていると同時に、あまりに明るすぎる、「ピクニック」小説にもやはりそれ自身の危険があるので
二つの文学論 (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
ワグナーのレコードははなはだ少なくない。それを一々詳述することは、一応私の旧著「ロマン派の音楽」で試みたが、網羅式もうらしきして、真に良きレコードを選ぶ困難は加わるばかりだ。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
高煦多力たりきなりければ、こうの重き三百きんなりしも、うなじこうを負いてつ。帝炭を缸上に積むこと山の如くならしめて之をもやす。高煦生きながらに焦熱地獄にし、高煦の諸子皆死を賜う。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
粕谷の墓守、睡眠山無為寺の住持も、想い来れば半生に数限りなき人を殺し、今も殺しつゝある。人を殺して、猶飽かず、其の死体まで掘り出して喰う彼は、畜生道にしたのではあるまいか。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
阿諛あゆするに甘んじないかぎり、あれはあれでどうしようもない。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
郭淮かくわいはしきりに主張した。良策もなきまま以後、消極的にし過ぎていたことを自身も反省していた仲達は、彼に説かれて
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
万事にかなう DS ならば、安助のとがせざるようには、何とて造らざるぞ。科に落つるをままに任せ置たるは、頗る天魔を造りたるものなり。
るしへる (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
「ほろ/\と椿こぼれて雨かすむ巨勢こぜの春野に雉子なくなり」という歌は、美しいことは美しいけれども、大和絵風の繊麗にした傾がある。茎立つ麦に啼く雉子のたくまざるにかぬような気がする。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
もう、女と酒に身を持ちくずして、大望も遂げ損なえば、兄者人あにじゃひとや思う人にも、顔を合せられねえ地獄の人間だ、さ、離してくれ、後生だから離してくれ
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あまりにも繊細せんさいに小智にそして無気力にしている近代人的なものへ、私たち祖先が過去には持っていたところの強靱きょうじんなる神経や夢や真摯しんしな人生追求をも、折には
宮本武蔵:01 序、はしがき (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「驚き忘れた一門」の無反省が反映して、庶民たちも何が起ろうと、驚かない習性にしていた。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
古来、理想はあっても、そのため、暴軍とし、乱賊と終った者、史上決してすくなくない。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「政治」というその気高けだかいことばまでが、あたらいやしい私慾の徒の表看板かのように地にしてしまったのは、明治末期から大正、昭和初期にかけてのことで、本来の「政治」とは、飽くまで
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)