口髯くちひげ)” の例文
と弁護士の方も軽く会釈したが、彼は五十五六の年輩の、こわ口髯くちひげも頭髪も三分通り銀灰色で、骨格のがっちりしたいかつい紳士であった。
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
ただ胡麻塩ごましお色の口髯くちひげが好い加減な所から乱雑に茂生もせいしているので、あの上にあなが二つあるはずだと結論だけは苦もなく出来る。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
白っぽい浴衣ゆかた兵児へこ帯をしめ、田舎臭い円顔に口髯くちひげはやした年は五十ばかり。手には風呂敷に包んだものを持っている。
濹東綺譚 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
ちや外套氏ぐわいたうし大欠伸おほあくびをしてきた。口髯くちひげ茶色ちやいろをした、けた人物じんぶつで、ズボンをはだけて、どつかと居直ゐなほつて
銀鼎 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
その時に螺旋巻ねじまきの時計の紐を胸に吊した、色のあかっちゃけた洋服を着た薄い口髯くちひげのある教師は何というたろう。
蝋人形 (新字新仮名) / 小川未明(著)
口髯くちひげのやや赤味を帯びたのが特長で、鼻の高い、口もとに締りのある、ちょっと苦味走った男である。
駅夫日記 (新字新仮名) / 白柳秀湖(著)
それをひねくり廻している矢先へ通りかかったのが保険会社社長で葬儀社長で動物愛護会長で頭が禿げて口髯くちひげが黒くて某文士に似ている池田庸平事大矢市次郎君である。
初冬の日記から (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
もう一人は、黒天鵞絨くろビロードのダブダブの服を着て、長髪をフサフサと肩までさげ、青白い顔に黒ガラスのロイド眼鏡めがねをかけ、濃い口髯くちひげを生やした、見た所美術家という恰好かっこうである。
恐怖王 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
右上がりの広い肩。眼深にかぶった羅紗らしゃ頭巾ずきん宵闇よいやみの中に黒い口髯くちひげ判然はっきりと浮かんで来た。
熊の出る開墾地 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
いわば眠っている獅子しし口髯くちひげを引いたようなもの、百千万キロワットの水力のスイッチをひねったようなものですから、今後の奔流は、米友御本人が身を以て防護に当るよりほか
大菩薩峠:40 山科の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
逆立った口髯くちひげやし、とがった短い頤髯あごひげを生やし、背の低い、赤ら顔の、小太りの人であったが、横柄ななれなれしさでクリストフに呼びかけ、あぶらぎった両手で彼の頬をたたき
やがてチョコチョコと現われたは少くも口髯くちひげぐらいやしてる相当年配の紳士と思いの外なる極めて無邪気な紅顔こうがんの美少年で、「私が森です」と挨拶あいさつされた時は読売記者は呆気あっけに取られて
鴎外博士の追憶 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
皮膚のつやは、老人ぎらいな負けん気をあらわし、少し白いのも交じってはいるが、太い口髯くちひげを、左右へ生やして、その髯がまた、歯のない唇のまわりの梅干じわを巧くかくしているのであった。
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
今夜も何か有るだろうとのぞいて見ると、赤い薄い本が主人の口髯くちひげの先につかえるくらいな地位に半分開かれて転がっている。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
為方なし入つた蕎麦屋の二階が目に浮んだり、薄い口髯くちひげに愛嬌をもつた青年の顔が想出されたりして、心気が一層冴えて来るのに苦しまされた。
復讐 (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
青い眼は眼差まなざしがぼんやりしていた。小さな赤い口髯くちひげの下に、皮肉そうな口が、眼に止まらないくらいの種々な動きにひきつって、じっとしてることは滅多になかった。背は高かった。
男はパナマらしい帽子をかぶ紺地こんじ浴衣ゆかた一枚、夏羽織も着ず、ステッキを携えている様子はさして老人とも見えなかったが、薄暗い電燈の灯影ほかげにも口髯くちひげの白さは目に立つほどであった。
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)
口髯くちひげを短く揃えた年長の紳士がニコニコしながら、船頭に話しかけた。
地獄風景 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
そしてそう思ってみると、ぴんと口髯くちひげの上へねたこのドクトルの、型で押し出したような顔のどこかに、梢家こずえけの血統らしい面影も見脱みのがせないのであった。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
「いろいろおりました。花魁が法学士のK君でしたが、口髯くちひげを生やして、女の甘ったるいせりふを使かうのですからちょっと妙でした。それにその花魁がしゃくを起すところがあるので……」
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
父は少し口髯くちひげが白くなったばかりで、あかがねのような顔色はますます輝き、頑丈な身体からだは年と共に若返って行くように見えましたが、母は私の留守に十年二十年も、一時に老込おいこんでしまいました。
監獄署の裏 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
青年は黒のソフトを前踣まへのめりに冠つてマントを着てゐたが、口髯くちひげを短かく刈込んで、黒いたつぷりした髪が頸や揉上げに盛りあがるやうな分厚ぶあつさでつや/\してゐた。
復讐 (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)