兵法へいはふ)” の例文
太史公たいしこういはく、世俗せぞくしようするところ(一一二)師旅しりよは、みな孫子そんし十三ぺん呉起ごき兵法へいはふふ。おほり、ゆゑろんぜず。其行事そのかうじ施設しせつするところものとをろんず。
「路地の足跡や、川の中の短刀は皆んなその浪人が見付けてくれました。見掛けによらない才智者で、うんとめてやると、——こいつは兵法へいはふの一つだから、何んでもないよ、なんて脂下やにさがつて居ましたが」
兵法へいはふに、百にして(四六)おもむものは、上將じやうしやうたふし、五十にしておもむものは、(四七)ぐんなかいた
太史公たいしこういはく、司馬しば兵法へいはふむに、(三六)閎廓くわうくわく深遠しんゑんにして、(三七)だい征伐せいばついへども、いま其義そのぎつくす※あたはず、其文そのぶんごときは、また(三八)すこしくはうせり。
しかうして諸矦しよこうせいてうす。せい威王ゐわう大夫たいふをして古者いにしへ司馬しば兵法へいはふ(三五)追論つゐろんせしめ、しかうして穰苴じやうしよ((ノ兵法))を其中そのうちけ、つてがうして司馬穰苴しばじやうしよ兵法へいはふふ。
穰苴じやうしよ區區くくとして小國せうこくめにるがごとき、なん司馬しば兵法へいはふ(三九)揖讓いふじやうおよぶにいとまあらんや。すで司馬しば兵法へいはふおほし、ゆゑもつろんぜず、穰苴じやうしよ列傳れつでんあらはす。
ることこれしばらくして其母そのははす。つひかへらず。曾子そうし(六六)これうすんじてつ。すなは兵法へいはふまなび、もつ(六七)〔魯〕きみつかふ。〔魯〕きみこれうたがふ。