先手さきて)” の例文
その時、ある大名の行列が乱暴をしたから、その先手さきて水瓜頭すいかあたまを十ばかり見つくろってなぐり、吉原の方へ逃げ込んだことがある。
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
六世内記方守ないきはうしゆは系図に拠るに、明和四年正月二十七日に生れた。又武鑑に拠るに、寛政六年十月より先手さきて鉄砲頭を勤めてゐた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
氏郷が十二分の注意を以て、政宗の陣の傍へ先手さきての四将を置いたのは、仮想敵にせよ、敵の襟元に蜂を止まらせて置いたようなものである。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
ぢやによつて今度の先手さきては、今まゐりながら「れぷろぼす」に仰せつけられ、帝は御自おんみづから本陣に御輦ぎよれんをすすめて、号令をつかさどられることとなつた。
きりしとほろ上人伝 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
「宗匠、後ばかり見ねえで、まア先手さきての川上をお見なせえ。羽田の漁師町も川の方から見ると綺麗だ。それに餓鬼がきどもが飛込んで泳いでるのが面白い」
悪因縁の怨 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
しかもその人は、ことしまだ二十歳はたちの若さと聞いている。桶狭間の合戦の折、義元の先手さきてうけたまわって、味方の鷲津わしづ、丸根のとりでおとしたあの手際てぎわもよかった。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おもいまして、てきがろくろくちかづいてないうちに、ゆみをつがえててき先手さきてかってかけますと、このまえってすすんで伊藤いとう六の胸板むないたをみごとにぬいて
鎮西八郎 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
井上君、君にはもう隠す必要はあるまいと思うが、台閣よりの命令に依り常野の兵追討の任を田沼様が受けられ、本日諸軍先手さきてに既に繰出したことは知っていられようなあ?
天狗外伝 斬られの仙太 (新字新仮名) / 三好十郎(著)
我はこの時かのさち多きむれ先手さきての、容端かたちたゞしく歩履あゆみいうにこなたに進み來るをみたり 八五—八七
神曲:02 浄火 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
声の下より、皆起って突かかり、またたく間に、政宗の先手さきてを七八町ほど退かしめた。
真田幸村 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
寛永十五年二月二十五日細川の手のものが城を乗り取ろうとしたとき、数馬が「どうぞお先手さきてへおつかわし下されい」
阿部一族 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
果して……まだそれとは言えないが、一町程の先手さきて、ちょうど、赤坂口と藤川口とが落合うあたりの辻のところで
大菩薩峠:29 年魚市の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「——先手さきての武田逍遥軒どの初め、一条右衛門大夫どの、武田上野介こうずけのすけどのにいたるまで、夜来、各所の御陣地を捨て去り、いずことも知れず退かれて候う」
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
井上君、君にはもう隠す必要はあるまいと思うが、台閣よりの命令に依り常野の兵追討の任を田沼様が受けられ、本日諸軍先手さきてはすでに繰出したことは知っていられようなあ?
斬られの仙太 (新字新仮名) / 三好十郎(著)
さて自分は一番先手さきてに蒲生源左衛門、蒲生忠右衛門、二番手に蒲生四郎兵衛、町野左近将監、三番に五手組いつてぐみ、梅原弥左衛門、森民部丞みんぶのじょう、門屋助右衛門、寺村半左衛門、新国上総介にっくにかずさのすけ、四番には六手組
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
そして二人相談した上、堀は跡部の手にゐた脇、石川、米倉の三人を借りて先手さきてを命じ、天神橋筋てんじんばしすぢを南へ橋詰町はしづめまち迄出て、西に折れて本町橋ほんまちばしを渡つた。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
と、先手さきての情勢を刻々に案じながら、まさに、かたずを呑むの思いで、伝令の騎馬を待つのであった。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これを打つ手の総大将田沼様のご手勢かれこれ三万余人、そのあらましを申さんに、まず先手さきてには切先手組、御徒組さては大砲組、小筒組、御持組、大御番には両御番と来た。
斬られの仙太 (新字新仮名) / 三好十郎(著)
そうして先手さきてを払った一人は、これはさむらいていではないのが、棒を携えて、これが一行の差図ぶりで飛んで来たものだから、兵馬はどうしても、見逃すわけにはゆきません。
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
これを打つ手の総大将田沼様の御手勢かれこれ三万余人、そのあらましを申さんに、先ず先手さきてには切先手組、御徒組さては大砲組、小筒組、御持組、大御番には両御番と来た。
天狗外伝 斬られの仙太 (新字新仮名) / 三好十郎(著)
本陣には名代みょうだいを置いて、自分はひそかに前線の先手さきてに立ち交じって直接に下知をしていたというような例はいくらもあるから、信玄にしても、常備八人の影武者はどうか分らないが
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それはお馬廻りのものがわざと先手さきてに加わるのをお止めなされたのである。このたび御当主の怪我をするなとおっしゃるのは、それとは違う。惜しい命をいたわれとおっしゃるのである。
阿部一族 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
先手さきては両藩の下役人数人で、次に兵卒数人が続く。次は細川藩の留守居馬場彦右衛門、同藩の隊長山川亀太郎、浅野藩の重役渡辺きそうの三人である。陣笠小袴こばかまで馬にまたがり、持鑓もちやりてさせている。
堺事件 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
やみをうなってきた矢走やばしりから見ても、徳川勢とくがわぜい先手さきて亀井武蔵守かめいむさしのかみ内藤清成ないとうきよなり加賀爪甲斐守かがづめかいのかみ軍兵ぐんぴょうはほど遠からぬところまで押しよせてきたものとおもわれる、その証拠には、伊那丸いなまるの陣した
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
佐分利さぶり五郎次などを先手さきてとし、四、五百人を勢ぞろいしておしだした。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
泉豊洲、名は長達、あざな伯盈はくえいである。其家よゝ江戸に住した。先手さきて与力泉斧太郎が此人の公辺に通つた称である。豊洲は宝暦八年三月二十六日に茅場町に生れ、文化六年五月七日に五十二歳で歿した。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
「そんなら先手さきてに立て」と堀が号令した。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)