一人前いちにんまえ)” の例文
長吉は蘿月の伯父さんのいったように、あの時分から三味線を稽古けいこしたなら、今頃はとにかく一人前いちにんまえの芸人になっていたに違いない。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「じぶんのこと忘れて。久子だって人の前じゃろくに唱歌しょうかもうたえなかったじゃないか。それでもちゃんと、一人前いちにんまえになったもの」
二十四の瞳 (新字新仮名) / 壺井栄(著)
「うちの安雄はな、もう今日きょうから、一人前いちにんまえのおとなになったでな、子どもとは遊ばんでな、子どもは子どもと遊ぶがええぞや」
小さい太郎の悲しみ (新字新仮名) / 新美南吉(著)
しかし桃太郎は必ずしも幸福に一生を送ったわけではない。鬼の子供は一人前いちにんまえになると番人の雉をみ殺した上、たちまち鬼が島へ逐電ちくでんした。
桃太郎 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
知恩院ちおんいん勅額ちょくがくを見上げて高いものだと悟った。御飯も一人前いちにんまえは食うようになった。水底の藻は土を離れてようやく浮かび出す。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
かく一人前いちにんまえの弁護士となって日々京橋区きょうばしくなる事務所に通うてましたが、のまゝで今日になったら、養父も其目的通りに僕を始末し
運命論者 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
一日かかって四十かぞくのは、普通一人前いちにんまえの極度の仕事であったが、おとらは働くとなると、それを八十把も漉くほどの働きものであった。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
こんなにみんな大きくなって、めいめい一部屋ひとへやずつを要求するほど一人前いちにんまえに近い心持ちをいだくようになってみると、何かにつけて今の住居すまい狭苦せまぐるしかった。
(新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「三吉は、まだ七つだけれど、恐ろしく目のよく利く奴さ。三吉の目と、わしの耳とを一つにすると、一人前いちにんまえの若者よりも、もっといいお役に立つかと思う位だよ」
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
「お前は手習よか裁縫です。着物が満足に縫えなくては女一人前いちにんまえとして嫁にゆかれません」
野菊の墓 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
人の天然生まれつきは、つながれず縛られず、一人前いちにんまえの男は男、一人前の女は女にて、自由自在なる者なれども、ただ自由自在とのみ唱えて分限ぶんげんを知らざればわがまま放蕩に陥ること多し。
学問のすすめ (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
山口達馬に青砥伊織あおといおりという、名前だけは一人前いちにんまえの若い門弟が二人軽いつもりで持ち上げようとしたその鎧櫃が、めっぽう重いので、ビックリ顔を見あわし、ポカンと立っておりますと……。
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
答『それはある。竜神りゅうじんとて修行しゅぎょうまねば一人前いちにんまえにはなれない……。』
「どうかして一人前いちにんまえの人間にしてやろうと思って、方々かけずりまわって、金をこしらえて店を持ったり何かしたのが、私の見込ちがいだったのです」
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
その時分は蕎麦そばを食うにしても、もりかけが八厘、たねものが二銭五厘であった。牛肉は普通なみ一人前いちにんまえ四銭で、ロースは六銭であった。寄席よせは三銭か四銭であった。
(新字新仮名) / 夏目漱石(著)
辰子はほとんど狡猾こうかつそうにちらりと姉へ微笑を送った。広子はこの微笑の中に突然一人前いちにんまえの女をとらえた。もっともこれは東京駅へ出迎えた妹を見た時から、時々意識へのぼることだった。
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
おのずから一人前いちにんまえの役人のような者になって、金も四百両ばかりもらったかと思う。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
「僕の詫よう空々そらぞらしいとでも云うのかね、なんぼ僕が金を欲しがるったって、これでも一人前いちにんまえの男だよ。そうぺこぺこ頭を下げられるものか、考えても御覧な」
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
その論の大意にいわく、人の一身は他人と相離れて一人前いちにんまえの全体をなし、みずからその身を取り扱い、みずからその心を用い、みずから一人を支配して、務むべき仕事を務むるはずのものなり。
学問のすすめ (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
自分のつら今戸焼いまどやきたぬき見たような癖に——あれで一人前いちにんまえだと思っているんだからやれ切れないじゃないか
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
人が盗まれたのならいざ知らず、自分が盗まれておきながら、明瞭の答が出来んのは一人前いちにんまえではない証拠だと、思い切って「盗難品は……山の芋一箱」とつけた。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「出るなら出るさ。お前ももう一人前いちにんまえの人間だから」と云ってしばらく煙ばかり吐いていた。それから「しかしおれがお前を出したようにみんなから思われては迷惑だよ」
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ひとも自分を一歩社会から遠ざかったように大目に見てくれる。こちらには一人前いちにんまえ働かなくてもすむという安心ができ、向うにも一人前として取り扱うのが気の毒だという遠慮がある。
思い出す事など (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
何しろ一万余人もかたまって、毎日毎日いっしょに働いて、いっしょに飯を食って、いっしょに寝ているんだから、自分だって七日も練習すれば、一人前いちにんまえに堕落する事はできるに違ない。
坑夫 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
自分に利用するのは養子の権利かも知れないが、こんなものの御蔭を蒙るのは一人前いちにんまえの男としては気がかな過ぎると思うと、あり余る本を四方に積みながら非常に意気地いくじのない心持がした。
『東洋美術図譜』 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「なるほど哲学者だけあらあ。それで、もう少し判然すると一人前いちにんまえだがな」
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
子供の内は親のいうことばかり聞いておっても、段々一人前いちにんまえになって来るとインデペンデントというものは自然に発達して来る。また発達してもしかるべきような時期に到着するのであります。
模倣と独立 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
いっしょにいるためにはいっしょにいるに充分なるだけ個性が合わなければならないだろう。昔しなら文句はないさ、異体同心とか云って、目には夫婦二人に見えるが、内実は一人前いちにんまえなんだからね。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)