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黙阿弥
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もくあみ
ふりがな文庫
“
黙阿弥
(
もくあみ
)” の例文
旧字:
默阿彌
芝居の、
黙阿弥
(
もくあみ
)
もので見てもわかるが、
房
(
ふ
)
っさりした散髪を一握り額にこぼして、シャツを着て長靴を
穿
(
は
)
いているのが、文明開化人だ。
田沢稲船
(新字新仮名)
/
長谷川時雨
(著)
が、坪内君が『桐一葉』を書いた時は団十郎が
羅馬
(
ローマ
)
法王で、
桜痴
(
おうち
)
居士が大宰相で、
黙阿弥
(
もくあみ
)
劇が憲法となってる大専制国であった。
明治の文学の開拓者:――坪内逍遥――
(新字新仮名)
/
内田魯庵
(著)
島原の
新富座
(
しんとみざ
)
で西郷隆盛の新作の芝居が打たれた。あれは多分
黙阿弥
(
もくあみ
)
の脚色に成ったものであったろう。連日の大入であったそうである。
夢は呼び交す:――黙子覚書――
(新字新仮名)
/
蒲原有明
(著)
狂言は
黙阿弥
(
もくあみ
)
の『
小袖曽我薊色縫
(
こそでそがあざみのいろぬい
)
』で、
小団次
(
こだんじ
)
の
清心
(
せいしん
)
に
粂三郎
(
くめさぶろう
)
の
十六夜
(
いざよい
)
、
三十郎
(
さんじゅうろう
)
の
大寺正兵衛
(
おおでらしょうべえ
)
という評判の顔あわせ。
顎十郎捕物帳:11 御代参の乗物
(新字新仮名)
/
久生十蘭
(著)
明治初期を代表するような白シャツを着込んで、頭髪は多くは
黙阿弥
(
もくあみ
)
式にきれいに分けて帽子はかぶらず、そのかわりに白張りの
蝙蝠傘
(
こうもりがさ
)
をさしていた。
物売りの声
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
▼ もっと見る
それが今、自分の眼にはかえって一層適切に、
黙阿弥
(
もくあみ
)
、
小団次
(
こだんじ
)
、
菊五郎
(
きくごろう
)
らの舞台をば、遺憾なく思い返させた。あの貸舟、格子戸づくり、忍返し……。
深川の唄
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
河竹にその縁故を問うたら、自分が
黙阿弥
(
もくあみ
)
の門人になったのは、豊芥子の紹介によったからだと答えたそうである。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
四座連盟は
脆
(
もろ
)
くも切り崩されたのである。新開場の狂言は
黙阿弥
(
もくあみ
)
作の「
黄門記童幼講釈
(
こうもんきおさなこうしゃく
)
」を
福地桜痴
(
ふくちおうち
)
居士が
補綴
(
ほてい
)
した物で、名題は「俗説美談黄門記」と
据
(
す
)
えられた。
明治劇談 ランプの下にて
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
私は芝居で見る
黙阿弥
(
もくあみ
)
作の「
蔦紅葉宇都谷峠
(
つたもみじうつのやとうげ
)
」のあの文弥殺しの場面を憶い起して
東海道五十三次
(新字新仮名)
/
岡本かの子
(著)
班女
(
はんじょ
)
といい、
業平
(
なりひら
)
という、
武蔵野
(
むさしの
)
の昔は知らず、遠くは多くの江戸
浄瑠璃
(
じょうるり
)
作者、近くは河竹
黙阿弥
(
もくあみ
)
翁
(
おう
)
が、
浅草寺
(
せんそうじ
)
の鐘の音とともに、その殺し場のシュチンムングを、最も力強く表わすために
大川の水
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
春秋座には
歌舞伎
(
かぶき
)
の古典が歓迎されるだろうという兄さんの意見で、
黙阿弥
(
もくあみ
)
や
逍遥
(
しょうよう
)
、
綺堂
(
きどう
)
、また斎藤先生のものなど色々やってみたが、どうも左団次や
羽左衛門
(
うざえもん
)
の
声色
(
こわいろ
)
みたいになっていけない。
正義と微笑
(新字新仮名)
/
太宰治
(著)
「あーあ、もとの
黙阿弥
(
もくあみ
)
か」
厨房日記
(新字新仮名)
/
横光利一
(著)
京伝
(
きょうでん
)
一九
(
いっく
)
春水
(
しゅんすい
)
種彦
(
たねひこ
)
を始めとして、
魯文
(
ろぶん
)
黙阿弥
(
もくあみ
)
に至るまで、少くとも日本文化の過去の誇りを残した人々は、皆おのれと同じようなこの日本の家の寒さを知っていたのだ。
妾宅
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
黙阿弥
(
もくあみ
)
の「
嶋鵆月白浪
(
しまちどりつきのしらなみ
)
」は明治十四年の作であるが、その
招魂社
(
しょうこんしゃ
)
鳥居前の場で、堀の内まいりの男が夜そばを食いながら、以前とちがって夜鷹そばは売り手が少なくなって
綺堂むかし語り
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
それが
近松
(
ちかまつ
)
や
黙阿弥
(
もくあみ
)
張りにおもしろくつづられていたものである。これは実に愉快な読み物であったが、さすがにこのごろはそういうのは、少なくも都下の新聞にはまれなようである。
ジャーナリズム雑感
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
荷船
(
にぶね
)
や
肥料船
(
こえぶね
)
の
笘
(
とま
)
が貧家の屋根よりもかえって高く見える間からふと
彼方
(
かなた
)
に
巍然
(
ぎぜん
)
として
聳
(
そび
)
ゆる寺院の屋根を望み見る時、しばしば
黙阿弥
(
もくあみ
)
劇中の背景を想い起すのである。
日和下駄:一名 東京散策記
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
一方その当時の
座附
(
ざつき
)
作者の側をみわたすと、かの
黙阿弥
(
もくあみ
)
は二十六年一月に世を去って、そのあとを
享
(
う
)
けた三代目河竹新七は市村座の
立作者
(
たてさくしゃ
)
として、傍らに歌舞伎座をも兼ねていた。
明治劇談 ランプの下にて
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
近頃の新劇と昔の
黙阿弥
(
もくあみ
)
の芝居と
一所
(
いっしょ
)
に並べて見せられても何とも思わない見物なのである。
国民性の問題
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
われわれは商売人でないから、そういうものは出来ないと断わると、彼はまた皮肉らしくこういうことを言った。番附のカタリを書くのは
立作者
(
たてさくしゃ
)
の役目である。現に
黙阿弥
(
もくあみ
)
も書いた。
明治劇談 ランプの下にて
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
時に歌舞伎座作者部屋には榎本氏を除きて四人の作者あり。竹柴七造
竹柴清吉
(
たけしばせいきち
)
は
黙阿弥
(
もくあみ
)
翁の
直弟子
(
じきでし
)
にて一は成田屋
付
(
づき
)
一は音羽屋付の
狂言方
(
きょうげんかた
)
とて
重
(
おも
)
に
団菊
(
だんきく
)
両優の狂言
幕明
(
まくあき
)
幕切
(
まくぎれ
)
の
木
(
き
)
を受持つなり。
書かでもの記
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
劇壇において
芝翫
(
しかん
)
、
彦三郎
(
ひこさぶろう
)
、
田之助
(
たのすけ
)
の名を挙げ得ると共に文学には
黙阿弥
(
もくあみ
)
、
魯文
(
ろぶん
)
、
柳北
(
りゅうほく
)
の如き才人が現れ、画界には
暁斎
(
ぎょうさい
)
や
芳年
(
よしとし
)
の名が
轟
(
とどろ
)
き渡った。
境川
(
さかいがわ
)
や
陣幕
(
じんまく
)
の如き
相撲
(
すもう
)
はその
後
(
ご
)
には一人もない。
銀座
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
町中
(
まちじゅう
)
の堀割に沿うて夏の夕を歩む時、自分は
黙阿弥
(
もくあみ
)
翁の書いた『
島鵆月白浪
(
しまちどりつきのしらなみ
)
』に
雁金
(
かりがね
)
に結びし蚊帳もきのふけふ——と
清元
(
きよもと
)
の
出語
(
でがたり
)
がある妾宅の場を見るような三味線的情調に酔う事がしばしばある。
夏の町
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
“黙阿弥(
河竹黙阿弥
)”の解説
河竹 黙阿弥(かわたけ もくあみ、旧字体:默阿彌、1816年3月1日(文化13年2月3日)- 1893年(明治26年)1月22日)は、江戸時代幕末から明治にかけて活躍した歌舞伎狂言作者。本名は吉村 芳三郎(よしむら よしさぶろう)。俳名に其水(そすい)。別名に古河 黙阿弥(ふるかわ-)。江戸日本橋生まれ。
(出典:Wikipedia)
黙
常用漢字
中学
部首:⿊
15画
阿
漢検準1級
部首:⾩
8画
弥
常用漢字
中学
部首:⼸
8画
“黙阿弥”で始まる語句
黙阿弥翁
黙阿弥襍記