鉄砲洲てっぽうず)” の例文
ところが、じゅくのある鉄砲洲てっぽうず奥平家おくだいらけのやしきは、外国人がいこくじんのすむところになるというので、幕府ばくふにとりあげられることになりました。
その羽織をうって一両三分の金を持て、私は鉄砲洲てっぽうずの中屋敷にかえったことがあると云うような次第で、全体藩の一般の習慣にすれば
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
お庄も叔父が見立ててくれた新しい浴衣ゆかたなどを着せられて、夕化粧をして、叔母と一緒に鉄砲洲てっぽうず稲荷いなりの縁日などへ出かけた。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
船蔵ふなぐらの裏通りから永代橋へ——そして霊岸島れいがんじま——鉄砲洲てっぽうず——汐留橋しおどめばし——日比谷——仙石邸前——伊達家前——金杉橋——
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
天保三年九月その齢四十四、三度東行の途に上らんとする時、その友頼山陽らいさんようの病を京師に問い、江戸に来って巻菱湖まきりょうこ鉄砲洲てっぽうずの家に旅装を解いた。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
駒込の富士から神田明神、深川八幡の境内、鉄砲洲てっぽうずの稲荷、目黒行人坂ぎょうにんざかなどが、その主なる場所であった、がそれも、今ではお伽噺とぎばなしになってしまった。
不尽の高根 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
逆に諭吉の自由主義的徹底開国論が宣伝されている『唐人往来とうじんおうらい』は、「江戸鉄砲洲てっぽうず某」の匿名で、しかも版行されず写本として、幾分流布されたのみであった。
福沢諭吉 (新字新仮名) / 服部之総(著)
鉄砲洲てっぽうずの蔵屋敷に、尾州家江戸詰めの藩士が、友だちだけ寄りあって、刀剣眼利めききの会を開いている。
寛永相合傘 (新字新仮名) / 林不忘(著)
英国いぎりす竜動ろんどんより三時間で往復の出来る処、日本にっぽんで云えば横浜のような繁昌はんじょうな港で、東京とうけいで申せば霊岸島れいがんじま鉄砲洲てっぽうずなどの模様だと申すことで、その世界に致してお話をします。
「わたくしも最前からそう思い思いあんまりお姿が変っていらっしゃいますので……もしやあなたさまは元鉄砲洲てっぽうずのお屋敷においでになった、毛利様ではございませぬか」
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
先生の心では国の文明を進めようという目的から、幕府がつぶれようとも、伏見の敗北が起ろうとも少しも頓着しないのである。多分鉄砲洲てっぽうずか新銭座の勤番長屋に書生を集めて講義をやっておられた。
東の方の火は、佐久間町から柳原を一嘗めにして、浜町、霊岸島、新堀から鉄砲洲てっぽうずに移って、百余艘の舟を焼いたがために、佃島、石川島に燃え移り、それから深川に移り、牛島、新田にまで往った。
日本天変地異記 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
一、松平大膳太夫だいぜんだゆう様、(長州藩主)鉄砲洲てっぽうずおよび佃島つくだじま
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「江戸、鉄砲洲てっぽうず某稿としてある、面白そうだ」
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
木挽町汐留こびきちょうしおどめ(いまの新橋しんばしのふきん)にある奥平おくだいらやしきにいきますと、鉄砲洲てっぽうず築地つきじ)にあるなかやしきの長屋ながやをかしてくれるということでした。
こりゃ仕方がない、鉄砲洲てっぽうずから九段阪下まで毎日字引じびきを引きに行くとうことはとてあわぬ話だ。ソレもようやく入門してたった一日いっぎりで断念。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
春の生理をみなぎらした川筋の満潮みちしおが、石垣のかきの一つ一つへ、ひたひたと接吻くちづけに似た音をひそめている。鉄砲洲てっぽうず築地つきじ浅野家あさのけの上屋敷は、ぐるりと川に添っていた。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
処が金次郎の死骸だけは分って鉄砲洲てっぽうずで引揚げましたから金次郎の親の家がしば田町たまちで有りますから旦那と私と行って是々と話すと先方むこうでも一方ひとかたならんなげきではありましたが
政談月の鏡 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
一同は既に十分の酔心地えいごこち。覚えず声をそろえてまたもや絶景々々と叫ぶ。夕焼の空は次第に薄らぎ鉄砲洲てっぽうず岸辺きしべいかりを下した親船の林なす帆柱の上にはちらちらと星がうかび出した。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
そこで、諭吉ゆきちは、鉄砲洲てっぽうずじゅくにもどると、もうオランダをおしえることはやめて、英語えいごばかりおしえることにしました。
その時私は鉄砲洲てっぽうずすまって居て、鉄砲洲から小石川までやがて二里もありましょう、毎朝早く起きて行く。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
永代橋より佃島鉄砲洲てっぽうずにかけての風景。また高輪より品川に及ぶ半円形の海岸とは水と空とこれに配合する橋と船とによりて広重をして最も容易に最も簡単なる好画図こうがとさしむ。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
鉄砲洲てっぽうずを離れると
濞かみ浪人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
れば我党の士が旧幕府の時代、すなわち彼の鉄砲洲てっぽうずの塾より新銭座しんせんざの塾に又今の三田に移りし後に至るまでも、勉強辛苦は誠に辛苦なりしかども、こうべめぐらして世上をうかが
鉄砲洲てっぽうずなる白河楽翁公しらかわらくおうこう御下屋敷おしもやしき浴恩園よくおんえんは小石川の後楽園こうらくえんと並んで江戸名苑の一に数えられたものであるが、今は海軍省の軍人ががやがや寄集よりあつまって酒を呑む倶楽部クラブのようなものになってしまった。
今を去ること三十年、我党の士が府下鉄砲洲てっぽうずの奥平藩邸を去て芝新銭座しんせんざに移り、匆々そうそう一小塾舎を経営して洋学に従事したるその時は、王政維新の戦争最中、天下た文を語る者なし。