輜重しちょう)” の例文
故に荷を負うの巧馬にまさる。古ギリシアまた殊にローマ人、これを車に牽かせ荷を負わすに用いたが、近世大いに輜重しちょうの方に使わる。
関羽は千五百をひきいて予山にひそみ、敵軍の通過、半ばなるとき、後陣を討って、敵の輜重しちょうを襲い、火をかけて焚殺ふんさつせられよ。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
確かに無理とは思われたが、輜重しちょうの役などに当てられるよりは、むしろおのれのために身命を惜しまぬ部下五千とともに危うきをおかすほうを選びたかったのである。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
それからたとい戦争に行くことが出来ても、輜重しちょうに編入せられて、運搬をさせられるかも知れないと思って見る。自分だって車の前に立たせられたら、きもしよう。
あそび (新字新仮名) / 森鴎外(著)
等の編成が行われ、諸軍合せて、歩兵は五十五大隊、砲兵六大隊、工兵一大隊、騎兵及輜重しちょう兵若干、それにこの戦に特別の働があった警視庁巡査の九隊、総員およそ五万人である。
田原坂合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
燕兵勢に乗じて営にせまり火をはなつ。急風火をあおる。ここおいて南軍おおいついえ、郭英かくえいは西にはしり、景隆は南に奔る。器械輜重しちょう、皆燕のるところとなり、南兵の横尸おうし百余里に及ぶ。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
その不幸な事件というのは、或る日彼が、ソ連空軍の爆撃の跡を視察するため、崩れかかった家屋の前に立っていたとき、そこへ急カーヴを切り輜重しちょう隊のトラックが驀進してきた。
空中漂流一週間 (新字新仮名) / 海野十三(著)
それも、川中島へ出は出たものの、しんがりにあって、主に輜重しちょうの宰領に当っていた。
城を守る者 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
されども海陸軍、必ずしも軍人のみをもって支配すべからず。軍律の裁判には、法学士なかるべからず。患者のためには、医学士なかるべからず。行軍の時に、輜重しちょう兵粮ひょうろうの事あり。
学問の独立 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
それは背中に長さ四フィート半の木の枠をくくりつけ、この架掛しょいこに我々の輜重しちょう行李をつけるのである。背中に厚い筵をあてがい、それの上にこの粗末な背嚢はいのう、即ち枠を倚り掛らせる。
「私の父は陸軍輜重しちょう兵第六大隊、輜重兵輜重輸卒ゆそつ、徳永磯吉であります、——」
戦争雑記 (新字新仮名) / 徳永直(著)
その籠城ろうじょうのときにおいて、差し支えなき糧食輜重しちょうをば平生に調達しおかざるべからずとなすがゆえに、第一に封建領主が奨励したるは農業にして、農業中ことに奨励したるは穀物の産出なり。
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
殿しんがりをつとめるのは輜重しちょうで、その傍にさも物思わしげに、ぴょんと長い耳のついた頭をうなだれながら歩いている、一匹の飛切り可愛らしい面つきの畜生があったが——これはマガールという驢馬で
接吻 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
輜重しちょうを運べる間流れ丸にたりて即死したる報道を得しより、いと痛う力を落しぬ、これよりは隠気にこもり終日戸の外にも出でず、屋の煙さえいと絶え絶えにて、時々寒食断食することさえあり
空家 (新字新仮名) / 宮崎湖処子(著)
兵糧輜重しちょうなどを主とした後陣の守りには、于禁うきん、李典の二将をおき、自身は副将の夏侯蘭、護軍ごぐん韓浩かんこうの二人を具して、さらにすすんだ。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
年齢もようやく四十に近い血気盛りとあっては、輜重しちょうの役はあまりに情けなかったに違いない。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
小荷駄(輜重しちょう)直江大和守
川中島合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
「猶予はならん。すぐ進発の準備をしろ。ここの巴城などは打ち捨て、一路雒城へ通らんことこそ、おれの狙いだ。兵糧をけ、輜重しちょうを備えろ」
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
武帝は李陵に命じてこの軍旅の輜重しちょうのことに当たらせようとした。未央宮びおうきゅう武台殿ぶだいでんに召見された李陵は、しかし、極力その役を免ぜられんことを請うた。陵は、飛将軍ひしょうぐんと呼ばれた名将李広りこうの孫。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
宵に出て、夜半よなか頃、この蜿蜒えんえんたる輜重しちょうの行軍は、褒州の難所へかかった。すると谷間から、一軍の蜀兵が、突貫して来た。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
兵員は呼延灼こえんしゃくとして、騎兵三千、歩兵八千、輜重しちょう工兵二千五百、伝令及び物見組約五百。すべてで一万四千人を要求した。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
南征の師は、号して三十万とはいうが、実数は約十万の歩兵と、四万の騎兵隊と、千余車の輜重しちょうとで編制されていた。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
顧みれば、呂虔りょけんとか于禁うきんなどの幕将まで負傷している。無数の輜重しちょうは敵地へ捨ててきた。——ああ。仰げば、暮山すでにくらく陽はかげろうとしている。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
輜重しちょうには、木牛流馬と称する、特殊な運輸車が考案され、兵の鉄帽(鉄かぶと)からよろいにいたるまで改良された。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
郝思文かくしぶんが先鋒、宣賛せんさん殿軍しんがり段常だんじょう輜重しちょう隊。そして総司令関勝かんしょうは、中軍という編制。——これが満都の歓呼と注目をあびて汴城べんじょうを立つ日のちまたに歌があった。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さらに左翼隊の榊原康政さかきばらやすまさは、もっともっと敵部隊の末端にある大荷駄隊おおにだたい輜重しちょう)へ、不意打ちを加えた。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また、吉川元春の兵は、遠く、背後の平地から飾磨しかまあたりまで行動し出し、織田軍の輜重しちょう部隊を奇襲したり、兵船を焼いたり、流言を放ったり、攪乱こうらんに努め出した。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おそらくは、張飛の先陣、中軍が山を越える頃、輜重しちょう兵糧の車馬はなお遅れて遠く後陣にあろう。その頃、合図の鼓とともに、いちどに繰り出して、敵陣を寸断せよ。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
遠征の輜重しちょうは、もとよりそう多くの糧米は持ってあるけない。行く先々の敵産が計算に入れてある。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
所在の明智衆が近郡からそれぞれ分に応じた人数と家の子をともなって集合しているため、城下は兵と馬に埋められ、辻々には輜重しちょうの車馬が輻輳ふくそうして道も通れぬほどである。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そしてこの砲兵隊の半数は、輜重しちょう馬車、ほろ馬車、鉄甲車などだった。戦力、思うべしである。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし、江越ごうえつの境は、雪、蜀道しょくどうの如きものがある。兵も輜重しちょうも越えられたものではない。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
のみならず、さきに従えてきた五千余の兵力も、その半分は、兵糧移送の輜重しちょうにつけて、漢中へ先発させ、西城県の小城のうち、見わたせば、寥々りょうりょうたる兵力しか数えられなかった。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
騎馬兵二万、歩兵八万、そのほかおびただしい輜重しちょうや機械化兵団まで備わっていた。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
曹操は八十余万の大軍を催し、先鋒を四軍団にわかち、中軍に五部門を備え、後続、遊軍、輜重しちょうなど、物々しい大編制で、明日は許都を発せんと号令した。中太夫孔融こうゆうは、前の日、彼に諫めた。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし仕事は、輜重しちょうの荷駄隊がおもである。ゆるやかな動きにすぎない。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あれほどいた兵馬輜重しちょうが、いちどに城下外へ出て行ったためである。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
途々の悪路には、輜重しちょうの車馬が踏みあらしたわだちが深く刻まれている。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わけて輜重しちょうの困難はいうばかりでない。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)