越後ゑちご)” の例文
何でもその辺の人に「越後ゑちごで偉かつた人は誰ですか。」とたづねると「それは上杉謙信うへすぎけんしんと良寛さんです。」と答へるさうである。
良寛物語 手毬と鉢の子 (新字旧仮名) / 新美南吉(著)
だから學校がくかうなまけては不可いけない、したがつてをそはつたことわすれては不可いけない、但馬たじま圓山川まるやまがはそゝぐのも、越後ゑちご信濃川しなのがはそゝぐのも、ふねではおなじうみである。
城崎を憶ふ (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
全体信濃しなののその二人の故郷といふのは、越後ゑちごの方に其境を接して居るから、出稼でかせぎといふ一種の冒険心には此上もなく富んで居るので、また現在その冒険に成功して
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
牧之ぼくし老人は越後ゑちご聞人ぶんじんなり。かつて貞介朴実ていかいぼくじつもつてきこえ、しば/\県監けんかん褒賞はうしやうはいして氏の国称こくしようゆるさる。生計せいけい余暇よか風雅ふうがを以四方にまじはる。余が亡兄ぼうけい醒斎せいさい京伝の別号をう鴻書こうしよともなりしゆゑ、またこれぐ。
しぶみ川、みなもと信越しんゑつさかひよりいで、越後ゑちごの内三十四里をながれて千曲川ちくまがはともなひ此海に入る。此川越後の○頸城くびき魚沼うをぬま○三嶋○古志こし四郡しぐんながるゝゆゑ、四府見しぶみ文字もんじならんかとおもひしにひが事也。
扨又清兵衞は弟長兵衞に盃盞さかづきをさしながら貴樣は如何して後藤先生を知つて居るやと問に長兵衞然ばえんと云ふもの奇代きだいな者にて今度こんどともつれて來りし此人はもと越後ゑちご高田たかたの浪人にて若き時同家中の娘を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
もしや越後ゑちごの山かとおもひ
どんたく:絵入り小唄集 (新字旧仮名) / 竹久夢二(著)
越後ゑちごでございますよ」
同じ港町でも、越後ゑちご出雲崎いづもざきとこの玉島とでは、ずゐぶん違つてゐた。越後の海は、冬、暗い雲にとざされ、北から来る風が波を捲起まきおこした。
良寛物語 手毬と鉢の子 (新字旧仮名) / 新美南吉(著)
生れは何でも越後ゑちごの者だといふ事だが、其処に住んだのは、七八年前の事で、始めはその父親らしい腰の曲つた顔のくすぶつたきたならしい爺様ぢいさまも居つた相だが、それは間もなく死んで
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
牧之ぼくし老人は越後ゑちご聞人ぶんじんなり。かつて貞介朴実ていかいぼくじつもつてきこえ、しば/\県監けんかん褒賞はうしやうはいして氏の国称こくしようゆるさる。生計せいけい余暇よか風雅ふうがを以四方にまじはる。余が亡兄ぼうけい醒斎せいさい(京伝の別号)をう鴻書こうしよともなりしゆゑ、またこれぐ。
もしや越後ゑちごやまかとおも
桜さく島:春のかはたれ (新字旧仮名) / 竹久夢二(著)
越後ゑちごの冬ははやく訪れるので、海から来る風はもう道や畑を白くして吹き、良寛さんのりたての青い頭は、雪をふくんだ雲の下で寒かつたのである。
良寛物語 手毬と鉢の子 (新字旧仮名) / 新美南吉(著)
越後ゑちごやま
桜さく島:春のかはたれ (新字旧仮名) / 竹久夢二(著)