“織田(おだ)” の例文
しかし、長老の快川国師(かいせんこくし)は、故信玄(こしんげん)の恩(おん)にかんじて、断乎(だんこ)として、織田(おだ)の要求をつっぱねたうえに、ひそかに三人を逃(の)がしてしまった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
其以後(そのいご)、誰(たれ)も手(て)を附(つ)けぬ。漸(やうや)く余(よ)が此前(このまへ)を素通(すどほ)りする位(くらゐ)であつたが、四十年(ねん)五月(ぐわつ)十二日(にち)に、余(よ)は、織田(おだ)、高木(たかぎ)、松見(まつみ)三子(し)と表面採集(へうめんさいしふ)に此邊(このへん)へ來(き)た。
父秀忠(ひでただ)と祖父家康(いえやす)の素志を継いで、一つにはまだ徳川(とくがわ)の天下が織田(おだ)や豊臣(とよとみ)のように栄枯盛衰の例にもれず、一時的で
私は彼の文を読んで先生は実に大剛の士であると思ったのです、大槻磐渓(おおつきばんけい)の『近古史談』というのに、美濃(みの)の戦(いくさ)に敵大敗して、織田(おだ)氏の士池田勝三郎
竹乃里人 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
旧記に観ると、この犬山の城は、永享(えいきょう)の末に斯波(しば)氏の家臣織田(おだ)氏がこの地を領し、斯波満桓(みつたけ)が初めて築いたとある。斯波氏が滅びてから織田、徳川の一族が拠(よ)って武威(ぶい)を張った。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
舟橋・織田(おだ)も情痴作家とよばれることを厭(いや)がりますね、などと取りすましている。
余はベンメイす (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
北条(ほうじょう)、足利(あしかが)をはじめ、織田(おだ)、豊臣(とよとみ)、徳川なぞの武門のことはあからさまに書かれてないまでも、すこし注意してこれを読むほどの人で、この国の過去に想(おも)いいたらないものはなかろう。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
それにはわたくしは『足利(あしかが)武鑑』、『織田(おだ)武鑑』、『豊臣(とよとみ)武鑑』というような、後の人のレコンストリュクションによって作られた書を最初に除く。次に『群書類従(ぐんしょるいじゅう)』にあるような分限帳(ぶんげんちょう)の類を除く。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
遁(のが)れさせ度(たく)思ひ此上は家老方へ御嘆(なげ)き申より外なしと豫々(かね/″\)心掛居ける中或日(あるひ)本多家の長臣(ちやうしん)都築外記(つゞきげき)中村主計(かずへ)用人笠原(かさはら)常右衞門の三人が相良(さがら)の用達(ようたし)町人織田(おだ)七兵衞が下淀川(しもよどがは)村の下屋敷(しもやしき)へ參られ終日(しゆうじつ)饗應(きやうおう)になる由を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
織田(おだ)は257。
踊る地平線:04 虹を渡る日 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
新羅三郎(しんらさぶろう)以来二十六世(せい)をへて、四隣(りん)に武威(ぶい)をかがやかした武田(たけだ)の領土(りょうど)は、いまや、織田(おだ)と徳川(とくがわ)の軍馬に蹂躪(じゅうりん)されて、焦土(しょうど)となってしまった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その数々の縁談(はなし)のくちで、親たちの眼に選(え)り残されているのは、もちろん皆、尾張清洲(きよす)の織田(おだ)家中ではあるが、とりわけ
日本名婦伝:太閤夫人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そればかりか、織田(おだ)の領地(りょうち)のほうでは、伊那丸(いなまる)をからめてきた者には、五百貫(かん)の恩賞(おんしょう)をあたえるという高札(こうさつ)がいたるところに立っているといううわさである。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
今川家(いまがわけ)を蚕食(さんしょく)し、織田(おだ)家とむすんで、やや一国の体面をたもってからでも、艱苦貧乏は徳川家の守り神であり、家中の精神をたゆまず研(みが)く砥石(といし)だったものである。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
海道(かいどう)の大勢と、今川、北条(ほうじょう)、武田、松平(まつだいら)、織田(おだ)などの実力や趨勢(すうせい)にも、だいぶ通じることができた。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
飯尾豊前(ぶぜん)も、彼と同じ今川家の被官(ひかん)なので、この地方の民治警備には、たえず連絡をもち、また、四隣の国、——徳川(とくがわ)、織田(おだ)、武田(たけだ)などの侵略にも、常に備えなければならなかった。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)