織田おだ)” の例文
しかし、長老の快川国師かいせんこくしは、故信玄こしんげんおんにかんじて、断乎だんことして、織田おだの要求をつっぱねたうえに、ひそかに三人をがしてしまった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
其以後そのいごたれけぬ。やうや此前このまへ素通すどほりするくらゐであつたが、四十ねんぐわつ十二にちに、は、織田おだ高木たかぎ松見まつみ表面採集へうめんさいしふ此邊このへんた。
秀忠ひでただと祖父家康いえやすの素志を継いで、一つにはまだ徳川とくがわの天下が織田おだ豊臣とよとみのように栄枯盛衰の例にもれず、一時的で
私は彼の文を読んで先生は実に大剛の士であると思ったのです、大槻磐渓おおつきばんけいの『近古史談』というのに、美濃みのいくさに敵大敗して、織田おだ氏の士池田勝三郎
竹乃里人 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
旧記に観ると、この犬山の城は、永享えいきょうの末に斯波しば氏の家臣織田おだ氏がこの地を領し、斯波満桓みつたけが初めて築いたとある。斯波氏が滅びてから織田、徳川の一族がって武威ぶいを張った。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
舟橋・織田おだも情痴作家とよばれることをいやがりますね、などと取りすましている。
余はベンメイす (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
北条ほうじょう足利あしかがをはじめ、織田おだ豊臣とよとみ、徳川なぞの武門のことはあからさまに書かれてないまでも、すこし注意してこれを読むほどの人で、この国の過去におもいいたらないものはなかろう。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
それにはわたくしは『足利あしかが武鑑』、『織田おだ武鑑』、『豊臣とよとみ武鑑』というような、後の人のレコンストリュクションによって作られた書を最初に除く。次に『群書類従ぐんしょるいじゅう』にあるような分限帳ぶんげんちょうの類を除く。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
のがれさせたく思ひ此上は家老方へ御なげき申より外なしと豫々かね/″\心掛居ける中或日あるひ本多家の長臣ちやうしん都築外記つゞきげき中村主計かずへ用人笠原かさはら常右衞門の三人が相良さがら用達ようたし町人織田おだ七兵衞が下淀川しもよどがは村の下屋敷しもやしきへ參られ終日しゆうじつ饗應きやうおうになる由を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
織田おだは257。
踊る地平線:04 虹を渡る日 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
新羅三郎しんらさぶろう以来二十六せいをへて、四りん武威ぶいをかがやかした武田たけだ領土りょうどは、いまや、織田おだ徳川とくがわの軍馬に蹂躪じゅうりんされて、焦土しょうどとなってしまった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その数々の縁談はなしのくちで、親たちの眼にり残されているのは、もちろん皆、尾張清洲きよす織田おだ家中ではあるが、とりわけ
日本名婦伝:太閤夫人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そればかりか、織田おだ領地りょうちのほうでは、伊那丸いなまるをからめてきた者には、五百かん恩賞おんしょうをあたえるという高札こうさつがいたるところに立っているといううわさである。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
今川家いまがわけ蚕食さんしょくし、織田おだ家とむすんで、やや一国の体面をたもってからでも、艱苦貧乏は徳川家の守り神であり、家中の精神をたゆまずみが砥石といしだったものである。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
海道かいどうの大勢と、今川、北条ほうじょう、武田、松平まつだいら織田おだなどの実力や趨勢すうせいにも、だいぶ通じることができた。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
飯尾豊前ぶぜんも、彼と同じ今川家の被官ひかんなので、この地方の民治警備には、たえず連絡をもち、また、四隣の国、——徳川とくがわ織田おだ武田たけだなどの侵略にも、常に備えなければならなかった。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)