とう)” の例文
享保二丁酉年ひのとゝりどし十月廿二日双方さうはうとう又々評定所ひやうぢやうしよへ呼出しに相成前規の通役人方出座にて公事くじ人名前一々呼立濟て大岡越前守殿九郎兵衞を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
「何んとかして下さいよ、親分。あんな怪物えてものにのさばられちや、こちとらの耻ばかりでなく、神田つ子一とうの耻ぢやありませんか」
いとけなくこそあれ、わが子曹叡こそは、仁英の質、よく大魏のとうを継ぐものと思う。汝ら、心をあわせて、これをたすけ、朕が心にそむくなかれ」
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
帝は高祖武帝ぶていの第七子にして、は武帝の長子にして文選もんぜん撰者せんじゃたる昭明太子しょうめいたいしとうの第二子なり。一門の語、誉を征するの時に当りて発するか。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
梅廼屋うめのやは前にもまうしましたとほり、落語家らくごかとう寄合茶屋よりあひぢややで、こと当時たうじわたくし落語家らくごか頭取とうどりをしてりましたから、ためになるお客と思ひもしまいが、早速さつそく其車そのくるまてくれました。
塩原多助旅日記 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
三年級まではこの現象を遠方の火事のように考えて多少面白ずくでいたが、この春四年級に進むと同時に、同級生一とう急に騒ぎ出した。火の手が近づいた上に先輩が殆んど全滅を遂げた。
親鳥子鳥 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
女房の友達とその許嫁いひなづけを救ふ爲といふよりは、町方一とうの面目の爲に、萬七を向うに廻して手柄を爭ふのもまた已むを得ない破目だつたのです。
以て八山やつやまなる旅館へ申遣しけるおもぶきは此度天一坊樣御下向ごげかうついては重役の者一とう相伺あひうかゞひ申たきこそ有ば明日五ツどき伊豆守御役宅へ御出あらせられたしとの口上こうじやう
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
両名の争論につづいて、一とうの意見も二派ふたはにわかれ、座中なんとなく騒然としてきたころ——
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一刻の後には彌次馬もすつかり散り、永村長十郎も「東海坊の弟子共や世話人一とうは追つての御沙汰を待つやうに」
村内へ觸歩行ふれあるきしゆゑ村中一とう此頃の寺の動靜やうすさては然る事にて天一樣は將軍家の御落胤にて今度こんど江戸へ御出立になれば二度御目通り成ねば當前あたりまへさらば今の内に御目見おめみえ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
天下とう一の先駆さきがけにあせって、たたかって勝つという信条しんじょうもとには、どんな犠牲ぎせいしまない。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
言ひ草が良いやな、秋山の阿魔なんざ、三枚におろしたつて文句はねえが、仙臺樣のお忍びの行列に間違ひがあつちや、町内一とうの迷惑だつてやがる。
近国きんごくへうわさがもれては外聞がいぶんにかかわるというので、昨夜ゆうべのさわぎはいっさい秘密ひみつにするよう、家中かちゅうとうもうわたしがあって、ほどなく、躑躅つつじさきたい、つねの平静へいせいに返っていた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
やがての「南朝」「北朝」の対立は、この二とうのもつれが遠因をなしていた。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
遺族ゐぞくが困るの、店がどうのといふ事はなかつたのですが、兎も角、うんとあるだらうと思はれた現金がほんの當座の帳面尻を合せるだけ、二つの錢箱に少々ばかり入つてゐたのでは、身寄一とう
「家中一とうのお祝を受けて、屠蘇の杯を口に持つて行つたところへ、グワラグワラと來た——床の間に積んだ五十五の千兩箱が一ぺんに崩れたからたまりませんや。大黒屋徳右衞門グウ——と來た」
荊州けいしゅうとうは、弟劉琮りゅうそうを以て継がすべし
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)