牧場ぼくじょう)” の例文
はたけえ、牧場ぼくじょうえてはしってくうち、あたりは暴風雨あらしになってて、子家鴨こあひるちからでは、しのいでけそうもない様子ようすになりました。
牧場ぼくじょうのうしろはゆるいおかになって、その黒いたいらな頂上ちょうじょうは、北の大熊星おおくまぼしの下に、ぼんやりふだんよりもひくく、つらなって見えました。
銀河鉄道の夜 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
ただスコーネとちがうのは、ここには畑のあいだに草のしげった牧場ぼくじょうが多いのと、農家のうかが庭をとりかこんでつくられてはいないことです。
関家の定紋九曜をりぬいた白木のがんで、あなたが死ぬ時一処に牧場ぼくじょうに埋めて牛馬の食う草木を肥やしてくれと遺言した老夫人の白骨は、此中に在るのだ。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
だがこのままこの村にいたのでは、せいぜい朝からばんまで同じ牧場ぼくじょうで牛やひつじの番人をするだけだ。この子がわからない子だったら、いてじだんだをふむだろう。
東部諸州の小さい川を通った時、それはあまりに小さいので、ちょうど魔法船が陸の牧場ぼくじょうや麦畑の中を帆走はしって行くように見えた。舟は二人乗として快適なものであった。
ただ大方、牧場ぼくじょうでアロアを写生したことがいけなかったんだろうと思っていました。
と、すぐ見おぼえのある——町へ出て下宿へ帰ることができた。翌日になってその画家は老婆の家から牧場ぼくじょう、牧場の中の怪しい家を探したが、そんな家もそんな場所もどこにもなかった。
馬の顔 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
牧場ぼくじょうで不用になった牛乳配達車であり、しかもエンジンが動かなくなって一年も放りだしてあったというたいへんな代物しろもので、二人にはキャンプ材料に食糧を積むのがせいいっぱいであると思われた。
火星探険 (新字新仮名) / 海野十三(著)
麦畑むぎばたけ牧場ぼくじょうとはおおきなもりかこまれ、そのなかふか水溜みずだまりになっています。まったく、こういう田舎いなか散歩さんぽするのは愉快ゆかいことでした。
どんどん黒いまつの林の中を通って、それからほの白い牧場ぼくじょうさくをまわって、さっきの入口からくら牛舎ぎゅうしゃの前へまた来ました。
銀河鉄道の夜 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
たしかに、みずうみして、はたけ牧場ぼくじょうにするのは、利益りえきのある、いい計画けいかくにちがいないわ。でも、トーケルン湖でない、ほかの湖だっていいわけだわ。
なみだをいっぱい目にうかべてわたしは見回したが、手近にはだれもわたしに加勢かせいしてくれる者がなかった。往来おうらいにもだれもいなかった。牧場ぼくじょうにもだれもいなかった。
見上ぐれば、蝦夷松椴松みねみねへといやが上に立ち重なって、日の目もれぬ。此辺はもうせき牧場ぼくじょうの西端になっていて、りんは直ちに針葉樹の大官林につゞいて居るそうだ。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
ロンドンで、大きなタイロリアン牛乳会社なるものを、牧場ぼくじょうもなく、牛もなく、配達車はいたつくるまもなく、もちろん牛乳もなくて、しかも千余のお客をもって経営していたのは外ならぬ彼であった。
(それじゃ、どっかの牧場ぼくじょうか)
馬の顔 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
それどころでなく、見れば見るほど、そこは小さな林や牧場ぼくじょうやらある野原のはらのように考えられてしかたなかったのです。
銀河鉄道の夜 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
下には谷があって、所どころに森や牧場ぼくじょうがあった。それからはるか下にいままでいたうちが見えた。
それは田舎いなかなつのいいお天気てんきことでした。もう黄金色こがねいろになった小麦こむぎや、まだあお燕麦からすむぎや、牧場ぼくじょうげられた乾草堆ほしくさづみなど、みんなきれいなながめにえるでした。
ですから、冬、雪におおわれているときには、だれでも、その雪の下には、ほかの平地へいちとおなじように、休閑地きゅうかんちや、ライムギばたけや、クローヴァのえた牧場ぼくじょうがあるものと思います。
ようようすこしずつなおりかけてきた。でも長い重病のあとであったから、すこしでもうちの外に出るには、グラシエールの牧場ぼくじょうが青くなり始めるまで待たなければならなかった。
少なくともわたしのいたじぶんには、やなぎやポプラが青あおとしげっている下を水が流れていた。その両岸には緑の牧場ぼくじょうが、人家や庭のある小山のほうまでだんだん上りにつづいていた。