松山まつやま)” の例文
松山まつやま中学時代には非常に綿密な教え方で逐字的解釈をされたそうであるが、自分らの場合には、それとは反対にむしろ達意を主とするやり方であった。
夏目漱石先生の追憶 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
ぼくかぎりでは、日本にほん麻雀マアジヤン發祥地はつしやうちれい大震災後だいしんさいご松山まつやましやう三が銀座裏ぎんざうらからうつつて一牛込うしごめ神樂坂上かぐらざかうへ經營けいえいしてゐたカフエ・プランタンがそれらしい。
麻雀を語る (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
自分は亡夫が外国にいた留守るすの間、二児を連れて伊予いよ松山まつやまに住んでいたが、鹿々何本の遊びは毎日のように子どもが窓の外へ来て遊んだのでよく知っている。
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
ちゃんと東京の知合いの松山まつやまという人に相談をして、その人から引受けるという手紙まで来ていた。
孤島の鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
宮城野みやぎのの萩、末の松山まつやまの松、実方さねかた中将の墓にうる片葉のすすき野田のだ玉川たまがわよし名取なとりのたで、この五種を軸としたもので、今では一年の産額十万円に達していると云う。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
が、そこに滞在して、かたき在処ありかさぐる内に、家中のさむらいの家へ出入でいりする女の針立はりたての世間話から、兵衛は一度広島へ来てのち、妹壻の知るべがある予州よしゅう松山まつやまへ密々に旅立ったと云う事がわかった。
或敵打の話 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
用ひしとぞ右半四郎の親類に佐次さじ右衞門と云者あり是は相應の百姓にて田地百五十石を所持なし居たりしが或時あるとき此佐次右衞門伊豫國いよのくに松山まつやまの親類へ金子かね五十兩送るべき事ありしに大金の事故飛脚ひきやく
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
そこへ駅員が来て、今松山まつやまを出たそうですからと断った。その松山ははるか向うにある。余は軌道レールの上に立って、一直線の平たいみちを視力のつづく限り眺めた。しかしトロの来る気色けしきはまるでなかった。
満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
なみこえよとてすゑ松山まつやまちぎれるもなく、男傾城をとこけいせいならぬそらなみだこぼしてなにるべきや、昨日きのふあはれとしは昨日きのふのあはれ、今日けふわざしげゝれば、わするゝとなしにわすれて一せうゆめごと
ゆく雲 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
松山まつやまの女子部のほとり
人妻 (新字旧仮名) / 渡久山水鳴(著)
なんでも市川猿之助いちかはゑんのすけ平岡ひらをかごんらう洋行歸やうかうがへりに上海シヤンハイ麻雀牌マアジヤンパイひうろおぼえにその技法ぎはうつたへたのださうだが、あつまるものはほか松山まつやましやう三、佐佐木茂索ささきもさく廣津和郎ひろつかずを片岡鐵兵かたをかてつへい松井潤子まつゐじゆんこのち林茂光りんもくわう
麻雀を語る (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)