只事ただごと)” の例文
お蘭はふと、近頃人のうわさでは四郎の人気につけ込んで興行師がこの白痴の少年に目をつけ出したということを思い出した。これは只事ただごとではない。
みちのく (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
やい、外へ出ろ、外へ出ろ、只事ただごとじゃねえぞ、お姫様のたたりだ。さあ、帆柱を叩き切るんだ、帆柱を。斧を持って来い、斧を二三挺持って来い。
大菩薩峠:18 安房の国の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
いかな庄太郎でも、あんまり呑気のんき過ぎる。只事ただごとじゃ無かろうと云って、親類や友達が騒ぎ出していると、七日目の晩になって、ふらりと帰って来た。
夢十夜 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
彼はぬすみ眼して部屋の中を覗くと、燈光はさながら輝き、下顎の骨はさながら冷笑あざわらっている。これは只事ただごとでないからもう一度向うを見る気にもなれない。
白光 (新字新仮名) / 魯迅(著)
私はこういう調べ方のうちに、只事ただごとならぬものを感じた。その日、連絡から帰ってくると、隣りの町で巡査が戸籍名簿をもって小さい店家に寄っていた。
党生活者 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
その後から駈け付けて来た巡査や、医者や、村長さんや、区長さんや、近い界隈かいわいの百姓たちの只事ただごとならぬ緊張した表情を不思議なほどハッキリ記憶していた。
木魂 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
なんだかこれがまたかれには只事ただごとでなくあやしくおもわれて、いえかえってからも一日中にちじゅうかれあたまから囚人しゅうじん姿すがたじゅううてる兵卒へいそつかおなどがはなれずに、眼前がんぜん閃付ちらついている
六号室 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
「はて、面妖めんような。只事ただごとでない。」と家令を先に敷居越し、恐る恐るふすまを開きて、御容顔を見奉れば、徹夜の御目おんめ落窪おちくぼみて、御衣服おめしものは泥まぶれ、激しき御怒おいかりの気色あらわれたり。
貧民倶楽部 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ここを出て地獄茶屋でひと休みやすんでいると、只事ただごとならぬ叫び声が聞える。スワ何事の出来しゅったいと、四人一度に飛び出す。見れば一頭の悍馬かんば谷川へちて今や押し流されんず有様。
あの時に僕はふと怪しいと思い出したんだ。和尚さんの様子が只事ただごとじゃなかったからね。
贋紙幣事件 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
血走ちばしったまなこあらかみをふりみだして様子ようすは、ても只事ただごととはおもわれないのでした。
机にりかかっていたらしい天願氏が、明かにびっくりしたらしく、がさごそと身ずまいを整えたのが、只事ただごとでないという印象をあたえた。突然入って行って悪かったなと、私は思った。
風宴 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
八五郎の様子は只事ただごとではありません。
只事ただごとには非ず」
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「おや、あそこは船倉じゃないか、お奉行様のお邸のあるところだと船頭衆が言っていた、あそこから高張が出たのは、いよいよ只事ただごとでないにきまってる」
大菩薩峠:06 間の山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
御蔭様でこの暑いのに毛袋でつつまれていると云う難儀も忘れて、面白く半日を消光する事が出来るのは感謝の至りである。どうせこれだけ集まれば只事ただごとではすまない。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
それが先生、一体がお夏さんは、歌だの手習だのは大嫌だいきらいで、鴨川かもがわなんて師匠取をするんじゃあないんですが、ただいま申しましたその焼け出されが只事ただごとじゃアありません。
三枚続 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
両親からの命令を聴いて、椽側えんがわひざまずいた直助は異様に笑つた。両親のうしろから見てゐたかの女は身のうちがふるへた。直助の心にも悪魔があるのか。今の眼の光りは只事ただごとではない。
(新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
普通の女にとってたゞ男がとまるということでも、それは只事ただごとではなかったのであろう。
党生活者 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
二つのカンテラが一間ばかりの距離に近寄った時、待ち受けたように、自分は掘子の顔を見た。するとその顔が非常なあおぞうであった。この坑のなかですら、只事ただごととは受取れない蒼ん蔵である。
坑夫 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「どうしても行ってみます、あんなに騒がしいのは只事ただごとではないから」
大菩薩峠:06 間の山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
室子は疲れにへとへとになり、気が遠くなりながら、身も心も少女のようになって、後からの強い力に追われて行く——この追い方は只事ただごとでは無い。愛の手の差し延べ、結婚の申込みでは無かろうか。
(新字新仮名) / 岡本かの子(著)
キン玉を食われたんでは只事ただごとでないと、神尾が思いました。
大菩薩峠:40 山科の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
室の中なる人々は顔と顔を見合わす。只事ただごとではない。
薤露行 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)