仰向あおむき)” の例文
母はいつもと同じように右の肩を下に、自分の方を向いて、少し仰向あおむき加減に軽く口を結んでいかにも寝相ねぞうよくすやすやと眠っている。
寐顔 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
書生の指さす所を見ると、犬小屋から大分離れた、庭の芝生に、一人の女が、青白い月光に照らされて、仰向あおむきざまに打倒れていた。
吸血鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
田中君はスキ焼の主唱者だけあって、大変食べた。はたで見ていてうらやましいほど食べた。余はしようがないから畳の上に仰向あおむきに寝ていた。
満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
鬱陶敷うっとうしくて、気が滅入って、幾ら書いても思う様に書けないから、私はホッとして、頭を抱えて、仰向あおむきに倒れて茫然としていたが
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
即ち、当夜の主人公たるD外務大臣が、胸部をピストルで打たれて、椅子からすべり落ち、床の上に仰向あおむきに斃れていたのである。
外務大臣の死 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
是等これらの人々何が為に此室にきたりたるぞ、余は怪むひまも無く床の真中に血に塗れたる死骸あるに気附たり、小柄なる白髪の老人にして仰向あおむき打倒うちたお
血の文字 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
やがて出窓の管簾くだすだれなかいた下で、はらンばひに成つたが、午飯おひるの済んだあと眠気ねむけがさして、くるりとひとツ廻つて、姉の針箱はりばこの方をつむりにすると、足を投げて仰向あおむきになつた。
蠅を憎む記 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
鳩尾みぞおちあたりをどんと突きまする。突かれて仰向あおむきに倒れる処を乗掛のッかゝってとゞめを刺しました処が、側に居りましたお梅は驚いて、ぺた/\と腰の抜けたように草原くさはらへ坐りまして
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
くだりに降った、歩きに歩いた、既に疲労を感じいる一行は、更に不安に襲われた、就中なかんずくM氏は困憊の極に達したかの如く、もう休もうと云っては、処きらわず草原の上に仰向あおむきに倒れて了う。
武甲山に登る (新字新仮名) / 河井酔茗(著)
この鉱山のために炭を焼きて生計とする者、これも笛の上手じょうずにて、ある日ひるあいだ小屋こやにおり、仰向あおむき寝転ねころびて笛を吹きてありしに、小屋の口なる垂菰たれごもをかかぐる者あり。驚きて見れば猿の経立ふったちなり。
遠野物語 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
またかの筍掘たけのこほりが力一杯に筍を引抜くと共に両足を空様そらざまにして仰向あおむきに転倒せる図の如きはまこと溌剌はつらつたる活力発展の状をうかがふに足る。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
腕組をして枕元にすわっていると、仰向あおむきに寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。女は長い髪を枕に敷いて、輪郭りんかくやわらかな瓜実うりざねがおをその中に横たえている。
夢十夜 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ずッと寄ると袖を開いて、姉御は何と思ったか、滝太郎のうなじを抱いて、仰向あおむきの顔を
黒百合 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
看護婦はすでに帰ったあとなので、へやの中はことにさみしかった。今まで蒲団ふとんの上に胡坐あぐらをかいていた彼は急に倒れるように仰向あおむきに寝た。そうして上眼うわめを使って窓の外を見た。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
三尺さんじゃくを腰低く前にて結びたるあそにんらしき男一人、両手は打斬うちきられし如く両袖を落して、少し仰向あおむき加減に大きく口を明きたるは、春の朧夜おぼろよ我物顔わがものがお咽喉のど一杯の声張上げて投節なげぶし歌ひ行くなるべし。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
いつまでっても留らなかったり、あるいは仰向あおむきに眺めている天井てんじょうがだんだん上から下りて来て、私の胸をおさえつけたり、または眼をいて普段と変らない周囲を現に見ているのに
硝子戸の中 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
だらだら坂を登ると、自然と顔が仰向あおむきになる。すると例の通り長屋から、坑夫が頬杖ほおづえを突いて、自分を見下みおろしている。さっきまではあれほどいやに見えた顔がまるで土細工つちざいくの人形の首のように思われる。
坑夫 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)