三宅みやけ)” の例文
田辺龍子たなべたつこ三宅みやけ龍子・雪嶺せつれい氏夫人)さんも十七位だったかな、小説を書きはじめたのは、そうだ、木村あけぼの女史も十七からだ。」
田沢稲船 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
長つゆがようやく上がって、しっとりと深い霧の降りた朝——ちょうど見まわり当番に当たっていたのは三宅みやけ平七以下四人の若侍たちでした。
また天皇、三宅みやけむらじ等が祖、名は多遲摩毛理たぢまもりを、常世とこよの國に遣して、時じくのかくを求めしめたまひき。
日本新聞の上では、三宅みやけ雪嶺、福本日南などと並ぶ社会評論をも見せていたかと記憶する。論文のばあいは、剣花坊の号を用いず、必ず秋剣であった。
芭蕉には島流しの流人るにんの生活を、句にしたものの多いこともちょっと有名であるが、是なども貞享じょうきょう・元禄のこうが、殊に三宅みやけ八丈はちじょうを刑罰に利用した時代であり
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
三宅みやけ博士にお答になつた言葉で見ると云ふと、多少條件付で假名遣の存在を認めて居られるけれども、殆どきまつて居らぬと云ふやうな風に御述べになつて居るやうに聽きました。
仮名遣意見 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
田村俊子たむらとしこ岡田八千代をかだやちよ與謝野晶子よさのあきこ等々とう/\みなふるはないうちに、たゞ一人ひとり時雨女史しぐれぢよしが、三宅みやけやす宇野千代うのちよ平林ひらばやしたいなどのわかひと以上いじやうに、お河童かつぱをんななか餓鬼大將がきだいしやうとして
「十手とくさやと縁があるのか」と云って政も思い当ったのだろう、丈夫そうな黄色い歯を見せて笑った、「——そうか、くさやは三宅みやけ島かどっかで、流人るにんが作るって聞いたっけ」
あすなろう (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「よッ、これはどうしたのだ、あの老人が歩いている。あの老人に相違ない! 背後うしろ姿だが見覚えがある。だがどうにもおかしいなア、あの老人なら去年の四月に、三宅みやけの島で死んだはずだ」
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
南方の海上には、海からいきなり立上つて固まつた感じのする御藏みくら島の青い姿が見える。その島と、僕のゐる三宅みやけ島との間の海面には、潮流が皺になつて、波立つて、大きく廣々と流れてゐる。
南方 (旧字旧仮名) / 田畑修一郎(著)
御親父様の御名跡ごみょうせきをおぎ遊ばし、平左衞門と改名され、水道端すいどうばた三宅みやけ様と申上げまするお旗下はたもとから奥様をお迎えになりまして、程なく御出生ごしゅっしょうのお女子にょしをおつゆ様と申し上げ、すこぶ御器量美ごきりょうよしなれば
見渡すお堀端の往来は、三宅みやけ坂にて一度尽き、さらに一帯の樹立こだちと相連なる煉瓦屋れんがおくにて東京のその局部を限れる、この小天地せきとして、星のみひややかにえ渡れり。美人は人ほしげに振り返りぬ。
夜行巡査 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
和田の叔父さまにお葉書を差し上げてから、一週間ばかりして、和田の叔父さまのお取計とりはからいで、以前侍医などしていらした三宅みやけさまの老先生が看護婦さんを連れて東京から御診察にいらして下さった。
斜陽 (新字新仮名) / 太宰治(著)
三宅みやけ内田うちだ両学士訳本、五三九ページ以下)。
貧乏物語 (新字新仮名) / 河上肇(著)
大佐は参謀の三宅みやけ大尉をよんで
昭和遊撃隊 (新字新仮名) / 平田晋策(著)
「さあ! 樋口一葉ひぐちいちようという人が、勉強しているというが——三宅みやけ龍子、小金井こがねい喜美子、若松賤子しずこ——その人たちかな。あなたのように、書こうとしているひとはあるでしょうよ。」
田沢稲船 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
諏訪飛騨守すわひだのかみ御牧みまき三左衛門、荒木山城守、四方田但馬守しほうでんたじまのかみ、村上和泉守いずみのかみ三宅みやけ式部、そのほか幹部たちのおびただしい甲冑かっちゅうの影が幾重にも光秀を囲んで、鉄桶てっとうのごときものを作っていた。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
今井は近所の三宅みやけといふ医者の家から、駕籠かごを二ちやう出させて、それに死骸を載せた。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
しかも私の見たところでは、三宅みやけ八丈はちじょうかとにかくに伊豆いずの島々のうちであった。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
またはたえだてて、茨田うまらたの堤と茨田の三宅みやけとを作り、また丸邇わにの池依網よさみの池を作り、また難波の堀江を掘りて、海に通はし、また小椅をばしの江を掘り、また墨江の津を定めたまひき。