“みやけ”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:ミヤケ
語句割合
三宅65.4%
三家7.7%
宮家7.7%
屯倉7.7%
屯家3.8%
三宅島3.8%
御屯倉3.8%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
長つゆがようやく上がって、しっとりと深い霧の降りた朝——ちょうど見まわり当番に当たっていたのは三宅みやけ平七以下四人の若侍たちでした。
意富おおおみ小子部ちいさこべの連・坂合部の連・火の君・大分おおきたの君・阿蘇あその君・筑紫の三家みやけの連・雀部さざきべの臣・雀部のみやつこ小長谷おはつせの造・都祁つげあたえ伊余いよの國の造・科野しなのの國の造・道の奧の石城いわきの國の造・常道ひたちの仲の國の造・長狹ながさの國の造・伊勢の船木ふなきの直・尾張の丹羽にわの臣・島田の臣等の祖先です。
まえの白菊の歌は、老公がかつて水戸の丸山まるやまに十景を選んで、淵明堂えんめいどうを建て、また、えんをひらいて文雅ぶんがつどいをした折、京のさる宮家みやけから光圀みつくにへ下賜されたお歌だった。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また五處の屯倉みやけ一九を副へて獻らむ(いはゆる五處の屯倉は、今の葛城の五村の苑人なり。)然れどもその正身ただみまゐ向かざる故は、むかしより今に至るまで、臣連二〇の、王の宮にこもることは聞けど
かれここを以ちて、新羅しらぎの國をば、御馬甘みまかひと定めたまひ、百濟くだらの國一三をば、わた屯家みやけ一四と定めたまひき。
この御世に田部たべを定め、またあづまあは水門みなと一〇を定め、またかしはで大伴部おほともべを定め、またやまと屯家みやけ一一を定めたまひ、また坂手さかての池一二を作りて、すなはちその堤に竹を植ゑしめたまひき。
八丈島はっちょう三宅島みやけまではわずか四五日の船路ふなじですが、物騒でなかなか油断が出来ない
顎十郎捕物帳:13 遠島船 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
たゞ伊勢太神宮の御屯倉みやけを預かつて相馬御厨みくりやつかさであるに過ぎぬのであるに、父の余威をるとは言へ、多勢の敵に対抗して居られるといふものは、勇悍ゆうかんである故のみでは無い
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)