“屯倉”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
みやけ50.0%
ミヤケ50.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
中央集権は主として屯倉みやけ(直轄地)の設置によって行なわれた。大伴の金村かなむらにしても、蘇我の稲目いなめ馬子うまこにしても、この屯倉の設置には熱心に努力しているのである。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
また五處の屯倉みやけ一九を副へて獻らむ(いはゆる五處の屯倉は、今の葛城の五村の苑人なり。)然れどもその正身ただみまゐ向かざる故は、むかしより今に至るまで、臣連二〇の、王の宮にこもることは聞けど
朝鮮半島に於ける国を内屯倉ウチツミヤケと称したのも、実は、蕃国使に宣せられる詔旨に、其大国を、日本の内なる屯倉ミヤケ同格に、取扱ふといふ意味の発想法が、まじつてゐたからの事と信じてゐる。
高御座 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
白髮天皇の二年冬十一月、播磨の國司山部連の先祖伊與イヨ來目部クメベ小楯ヲタテ、赤石郡に於て、自ら新甞の供物を辨ず。適、縮見シヾミ屯倉ミヤケオビト、新室の縱賞ホカヒして、夜を以て晝に繼ぐに會ふ。(顯宗紀)