“ぶこう”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
武甲28.6%
武矦14.3%
武功14.3%
武候14.3%
武公14.3%
武后14.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
もしこれに蜀を加えて、統治を施し、よく武甲(ぶこう)と仁政を以て固め、上に帝王を定むるならば、これこそ千年の基業を開くことができるに相違ない。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
是(ここ)に於(おい)て呉起(ごき)、公主(こうしゆ)の・魏(ぎ)の相(しやう)を賤(いや)しむを見(み)、(一〇四)果(はた)して魏(ぎ)の武矦(ぶこう)に辭(じ)す。武矦(ぶこう)之(これ)を疑(うたが)うて信(しん)ぜず。呉起(ごき)、罪(つみ)を得(う)るを懼(おそ)れ、遂(つひ)に去(さ)り、即(すなは)ち楚(そ)に之(ゆ)く。
呉起(ごき)、人(ひと)と爲(な)り、(九六)節廉(せつれん)にして自(みづか)ら(九七)名(な)を喜(この)む。君(きみ)、因(よ)つて先(ま)づ武矦(ぶこう)に言(い)つて曰(い)へ
なくしてはならずと種々(いろ/\)に機嫌を取(とり)面白(おもしろ)い本を御覽(ごらん)に入申さんと存(ぞんじ)て持參致したり少し讀(よみ)申べし御聞なされよと佐竹殿小田山より落(おと)し掛(かけ)天安(てんあん)が籠(こも)りたる小田の城を一時に攻落(せめおと)したる佐竹家の武功(ぶこう)を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
領(りやう)し豐臣家(とよとみけ)の御代には老中の一人にして生駒雅樂頭と號し天晴(あつぱれ)武功(ぶこう)の家柄(いへがら)なり其後徳川家に隨(したが)ひ四代目にして家中に騷動(さうどう)起(おこ)り既に家名斷絶(だんぜつ)すべきの處親類藤堂和泉守殿歎願により羽州由利郡矢島に於(おい)て高八千石を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
人を使うことで、思いあたる話は、呉子(ごし)が武候(ぶこう)に与えた兵法の虎の巻にある一項で
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
昔(むかし)鄭(てい)の武公(ぶこう)、胡(こ)を伐(う)たんと欲(ほつ)し、廼(すなは)ち(一〇二)其子(そのこ)を以(もつ)て之(これ)に妻(めあは)せたり。因(よ)つて羣臣(ぐんしん)に問(と)うて曰(いは)く、「吾(われ)、兵(へい)を用(もち)ひんと欲(ほつ)す、誰(たれ)か伐(う)つ可(べ)き者(もの)ぞ」と。關其思(くわんきし)曰(いは)く、「胡(こ)伐(う)つ可(べ)し」と。
恐れるのは武人の技倆(ぎりょう)である。正義それ自身も恐れるに足りない。恐れるのは煽動家(せんどうか)の雄弁である。武后(ぶこう)は人天を顧みず、冷然と正義を蹂躙(じゅうりん)した。
侏儒の言葉 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)