-
トップ
>
-
養家
>
-
やうか
桂次が
今をる
此許は
養家の
縁に
引かれて
伯父伯母といふ
間がら
也、はじめて
此家へ
來たりしは十八の
春、
田舍縞の
着物に
肩縫あげをかしと
笑はれ
立出小夜衣が
許へ
到りしに夫と見るより小夜衣は
飛で
出直樣我が
部屋へ
伴ひ何くれとなく
勤めを
離れし
待遇に互ひの心を打明つゝ
變るまいぞや變らじと
末の約束までなせしかば千太郎は
養家を
心よわげなれど
誰れもこんな
物なるべし、
今から
歸るといふ
故郷の
事養家のこと、
我身の
事お
作の
事みなから
忘れて
世はお
縫ひとりのやうに
思はるゝも
闇なり
お
認め成れしやと
四邊を見れば一通の
書置有是書置は何事ぞと
封押切て
讀下し這は
抑御
狂氣成れしか
養家實家の
親御達其お
歎きは如何成ん夫を不孝とは
覺さずやと
撓まぬ異見に千太郎も今は思ひを
我が
養家は
大藤村の
中萩原とて、
見わたす
限りは
天目山、
大菩薩峠の
山〻峰〻垣をつくりて、
西南にそびゆる
白妙の
富士の
嶺は、をしみて
面かげを
示めさねども
助け
大功有し段
神妙なり依て今より十人
扶持下され
足輕小頭申付るなりと家老中より三人へ
執達に及びければお花友次郎は云に及ばず忠八まで
君恩の
忝けなきに
感涙止め敢ず何れも
重々有難き段御
請申上て引
退き夫より友次郎は改めて松田の養子となり
養家の
名跡を