むら)” の例文
そうして、女たちの刈りとった蓮積み車が、いおりに戻って来ると、何よりも先に、田居への降り道に見た、当麻のむらの騒ぎの噂である。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
暑中休暇に、ふるさとのむらへかえって、邑のはずれのお稲荷いなりの沼に、毎夜、毎夜、五つ六つの狐火が燃えるという噂を聞いた。
懶惰の歌留多 (新字新仮名) / 太宰治(著)
系ハ県主稲万侶あがたぬしいねまろヅ。稲万侶ノ後裔こうえい二郎左衛門尉さえもんのじょう直光知多郡鷲津ノ地頭じとうル。よっテ氏トス。数世ノ孫甚左衛門いみな繁光うつツテ今ノむらニ居ル。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
やゝしばし上りて山上のたいらなる道となり、西することしばらくにして、山上の凹みに巣くへる白き家と緑と錯綜せるナザレのむらあらはれ出づ。
昔宮古島川満かわまむらに、天仁屋大司あめにやおおつかさといふ天の神女、むらの東隅なる宮森に来りぐうし、つい目利真按司めりまあんじに嫁して三女一男を生む。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
幼いクリストはエヂプトへ行つたり、更に又「ガリラヤのうちに避け、ナザレと云へるむら」に止まつたりしてゐる。
西方の人 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
そこで、天下に触れを廻して、もし戎呉の将軍の首を取って来る者があれば、千きんの金をあたえ、万戸ばんこむらをあたえ、さらに王の少女を賜わるということになった。
仏国ブリヴむらの若侍、その領主が自分の新婦に処女権を行うに乗じて、自らまた領主の艶妻を訪い、通夜してこれに領主の体格不似合の大男児を産ませた椿事ちんじあり。
遼邈之地とほくはるかなるくになほ未だ王沢うつくしびうるほはず、遂にむらに君有り、あれひとこのかみ有り、各自おの/\さかひを分ちて、もつて相凌躒しのぎきしろふ。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
禅師これに従ひ、蓄髪して、宅を蜂須賀むらに構へ、足利氏を改めて、浜といひ、小六正昭まさあきと称し、後蜂須賀氏に改む。(略)——是より子孫蜂須賀氏を襲ふて、累世るゐせい氏名となしぬ。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
イエスはこの弟子たちをつれて、ガリラヤ湖の西北隅に近きカペナウムのむらに行かれ、ただちに安息日に会堂に入りて教え給うたところ、人々はその教えに驚きあった(一の二一—二二)。
水くねり流るるむらや柳かげ
六百句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
葡萄じゆつゆしたむらを過ぎ
邪宗門 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
当麻たぎまむらまで、おとといの中に行って居たこと、寺からは、昨日午後横佩墻内かきつへ知らせが届いたこと其外には、何も聞きこむ間のなかったことまで。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
東寧川とねがわハ上武ノ境ヲ界ス。川ノ南ヲ武トス。川叉せんさノ関アリ焉。関ノ東南ヲ羽生むらトイフ。邑ハ官道ヲ距ルコト数里ニ過ギズ。往昔辟陋へきろう、人イマダ学ブヲ知ラズ。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
或いは本島内の三つのむらだとの説もあるが、知念ちねん玉城たまぐすくは太陽の穴ではないはずである。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
この小六正和まさかずというのは、矢矧やはぎの橋で少年秀吉の面だましいを見て拾って行ったという伝説のある、あの小六正勝の父にあたる人物であるが、道三秀龍が、蜂須賀むらの一郷士の軒下に
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
エニンを出でゝ三十分ならず、行手の山の上分明ふんみやうに白きむらを見る。あれは何と云ふ邑ぞ。あれこそナザレに候、と案内者が答ふる言葉の下より吾心わがむねは雀の如く躍りぬ。あゝあれがナザレか。
その時またおもふやう安倍仲麿あべのなかまろがこの小さきむらを出でて大陸の支那しかも唐代の支那を見た時
書かでもの記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
その南北にわたっている長い光りの筋が、北の端で急に広がって見えるのは、凡河内おおしこうちむらのあたりであろう。其へ、山間やまあいを出たばかりの堅塩かたしお川—大和川—が落ちあって居るのだ。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)