若年寄わかどしより)” の例文
幕閣ばっかくのうちでも、奏者衆そうしゃしゅうといえば、若年寄わかどしよりの次席である。小笠原左近将監おがさわらさこんしょうげんは、その奏者衆たるうえに、寺社奉行じしゃぶぎょうの重職をかねていた。
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
龍口りょうこうといったのは、『医心方』が若年寄わかどしより遠藤但馬守胤統たねのりの手から躋寿館に交付せられたからであろう。遠藤の上屋敷は辰口たつのくち北角きたかどであった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
飼いならすのにいろいろな方法があるが、鶴がひとを見ても恐れぬようになると、鷹匠が飼場を検分したのち、そのむねを若年寄わかどしよりに上申する。
顎十郎捕物帳:09 丹頂の鶴 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
京都の町奉行関出雲守せきいずものかみがお輿こしの先を警護し、お迎えとして江戸から上京した若年寄わかどしより加納遠江守かのうとおとうみのかみ、それに老女らもお供をした。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
とあり御直筆おんぢきひつに相違なければ面々めん/\恐れ入り拜見致されまた御短刀をも一見するにまがふ方なき御品なれば御老中若年寄わかどしよりには愈々將軍の御落胤ごらくいんに相違なしと承伏しようふくし伊豆守殿すなはち伊賀亮を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
戦後その身のかんなるがために所謂いわゆる脾肉ひにくたんえず、折柄おりから渡来とらいしたる日本人に対し、もしも日本政府にて雇入やといい若年寄わかどしより屋敷やしきのごとき邸宅ていたくに居るを得せしめなばべつかねは望まず
ある時石川郡いしかわごおり市川いちかわ村の青田あおた丹頂たんちょうの鶴くだれるよし、御鳥見役おとりみやくより御鷹部屋おたかべや注進になり、若年寄わかどしよりより直接言上ごんじょうに及びければ、上様うえさまには御満悦ごまんえつ思召おぼしめされ、翌朝こく御供揃おともぞろい相済み
三右衛門の罪 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
御老中は勿論将軍家も年に二度ぐらいはおなりになるという定例じょうれいでございます、すなわち正面の高座敷たかざしきが将軍家の御座所でございまして、御老中、若年寄わかどしより、寺社奉行、大目附おおめつけ御勘定ごかんじょう奉行、こおり奉行
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
されば御譜代ごふだい。将軍家に、ながれみなもとも深い若年寄わかどしよりぢや。……何と御坊ごぼう
妖魔の辻占 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
任命は若年寄わかどしより大岡主膳正しゅぜんのかみ忠固ただかたの差図を以て、館主多紀安良あんりょうが申し渡し、世話役小島春庵しゅんあん、世話役手伝勝本理庵りあん熊谷くまがい弁庵べんあんが列座した。安良は即ち暁湖ぎょうこである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
水戸浪士を敵として戦い負傷までした諏訪藩の用人塩原彦七しおばらひこしちですらそれを言って、幕府の若年寄わかどしよりともあろう人が士を愛することを知らない、武の道の立たないことも久しいと言って
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
ほどこす事なく成丈なるたけ穩便をんびんにすべし萬一手荒てあらがましき事相聞えなば屹度きつと沙汰さたに及ぶぞ又此度の儀はかるき事にあらねば早速御用番の若年寄わかどしより衆に進達しんたつに及ふべし此旨主人へとくと申聞けよとてせき
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
……若年寄わかどしより支配で、御城内のお廐一切のことを司る役なんでございます。……御召馬の飼方、調方ととのえかた。……御用馬や諸侯に下さる馬、お馬御囲おかこい場の野馬の追込み。……そのほか、馬具一切の修繕をする。
顎十郎捕物帳:03 都鳥 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
今やと相待たりさて役人方の上席は老中井上河内守殿若年寄わかどしより大久保長門守殿石川近江守殿寺社じしや奉行黒田豐前守殿左の方には大目付おほめつけ有馬出羽守殿おん目付松浦與四郎殿其外評定所留役とめやく御徒士おかち目付めつけ小人こひと目付めつけに至るまで威儀ゐぎ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)