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やなぎしま
ふりがな文庫
“
柳島
(
やなぎしま
)” の例文
弘前
(
ひろさき
)
の城主
津軽順承
(
つがるゆきつぐ
)
の
定府
(
じょうふ
)
の医官で、当時
近習詰
(
きんじゅづめ
)
になっていた。しかし隠居
附
(
づき
)
にせられて、
主
(
おも
)
に
柳島
(
やなぎしま
)
にあった
信順
(
のぶゆき
)
の
館
(
やかた
)
へ出仕することになっていた。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
本所小梅
(
ほんじよこうめ
)
から
押上辺
(
おしあげへん
)
に至る
辺
(
あたり
)
も同じ事、新しい
工場町
(
こうぢやうまち
)
として此れを眺めやうとする時、今となつては
却
(
かへつ
)
て
柳島
(
やなぎしま
)
の
妙見堂
(
めうけんだう
)
と料理屋の
橋本
(
はしもと
)
とが目ざはりである。
水 附渡船
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
僕等は川蒸汽を下りて
吾妻橋
(
あづまばし
)
の
袂
(
たもと
)
へ出、そこへ来合せた円タクに乗つて
柳島
(
やなぎしま
)
へ向ふことにした。この吾妻橋から柳島へ至る電車道は前後に二三度しか通つた覚えはない。
本所両国
(新字旧仮名)
/
芥川竜之介
(著)
萩原新三郎
(
はぎわらしんざぶろう
)
は
孫店
(
まごだな
)
に住む
伴蔵
(
ともぞう
)
を
伴
(
つ
)
れて、
柳島
(
やなぎしま
)
の
横川
(
よこかわ
)
へ釣に
往
(
い
)
っていた。それは五月の初めのことであった。新三郎は釣に往っても釣に興味はないので、
吸筒
(
すいづつ
)
の酒を飲んでいた。
円朝の牡丹灯籠
(新字新仮名)
/
田中貢太郎
(著)
柳島
(
やなぎしま
)
に近いところに住んでいる
小原数馬
(
おはらかずま
)
という旗本屋敷から受取ったものである。
西瓜
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
▼ もっと見る
思いあぐんである日のこと、日頃信心する
柳島
(
やなぎしま
)
の妙見堂へ参詣した。その
帰路
(
かえりみち
)
のことであったがにわかに夕立ちに襲われた。雷嫌いの北斎は青くなって狼狽し、田圃道を一散に飛んだ。
北斎と幽霊
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
うす
靄
(
もや
)
のような暮気があたりを包んで、
押上
(
おしあげ
)
、
柳島
(
やなぎしま
)
の空に
夕映
(
ゆうばえ
)
の余光がたゆたっていたのも
束
(
つか
)
のま、まず平河山法恩寺をはじめとして近くに
真成
(
しんせい
)
、
大法
(
たいほう
)
、
霊山
(
れいざん
)
、
本法
(
ほんぽう
)
、
永隆
(
えいりゅう
)
、
本仏
(
ほんぶつ
)
など寺が多い
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
「第○野戦高射砲隊ハ、既定計画ニ基キ陣地ヲ占領シ主トシテ高田市附近ノ防空ニ任ゼントス。各中隊は
速
(
すみや
)
カニ出発シ、第一中隊ハ
鴨島
(
かもじま
)
ニ、第二中隊ハ
柳島
(
やなぎしま
)
ニ、第三中隊ハ
板倉橋
(
いたくらばし
)
附近ニ、陣地ヲ占領スベシ。終」
空襲警報
(新字新仮名)
/
海野十三
(著)
本所小梅
(
ほんじょこうめ
)
から
押上辺
(
おしあげへん
)
に至る
辺
(
あたり
)
も同じ事、新しい
工場町
(
こうじょうまち
)
としてこれを眺めようとする時、今となってはかえって
柳島
(
やなぎしま
)
の
妙見堂
(
みょうけんどう
)
と料理屋の
橋本
(
はしもと
)
とが目ざわりである。
日和下駄:一名 東京散策記
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
彼はある日散歩のついでにふと
柳島
(
やなぎしま
)
の
萩寺
(
はぎでら
)
へ寄った所が、そこへ丁度彼の屋敷へ出入りする
骨董屋
(
こっとうや
)
が藤井の
父子
(
おやこ
)
と一しょに
詣
(
まい
)
り合せたので、つれ立って
境内
(
けいだい
)
を歩いている中に
開化の良人
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
島なき場所も
柳島
(
やなぎしま
)
三河島
(
みかはしま
)
向島
(
むかうじま
)
なぞと呼ばれ、森なき処にも
烏森
(
からすもり
)
、
鷺
(
さぎ
)
の
森
(
もり
)
の如き名称が残されてある。
水 附渡船
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
僕等は「
橋本
(
はしもと
)
」の前で円タクをおり、水のどす黒い掘割り伝ひに
亀井戸
(
かめゐど
)
の
天神様
(
てんじんさま
)
へ行つて見ることにした。名高い
柳島
(
やなぎしま
)
の「橋本」も今は食堂に変つてゐる。
尤
(
もつと
)
もこの家は焼けずにすんだらしい。
本所両国
(新字旧仮名)
/
芥川竜之介
(著)
島なき場所も
柳島
(
やなぎしま
)
三河島
(
みかわしま
)
向島
(
むこうじま
)
なぞと呼ばれ、森なき処にも
烏森
(
からすもり
)
、
鷺
(
さぎ
)
の
森
(
もり
)
の如き名称が残されてある。
日和下駄:一名 東京散策記
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
五渡亭国貞は「歌川を疑はしくも名乗り得て二世の豊国
贋
(
にせ
)
の豊国」の
落首
(
らくしゅ
)
に
諷刺
(
ふうし
)
せられしといへどもとにかく歌川派の画系をつぎ
柳島
(
やなぎしま
)
と
亀井戸
(
かめいど
)
とに邸宅を有せしほどなれば
江戸芸術論
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
隅田川は云ふに及ばず神田のお茶の水
本所
(
ほんじよ
)
の
竪川
(
たてかは
)
を始め
市中
(
しちゆう
)
の水流は、
最早
(
もは
)
や現代の吾々には昔の人が船宿の桟橋から
猪牙船
(
ちよきぶね
)
に乗つて
山谷
(
さんや
)
に通ひ
柳島
(
やなぎしま
)
に遊び
深川
(
ふかがは
)
に戯れたやうな風流を許さず
水 附渡船
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
隅田川はいうに及ばず神田のお茶の水
本所
(
ほんじょ
)
の
竪川
(
たてかわ
)
を始め
市中
(
しちゅう
)
の水流は、
最早
(
もは
)
や現代のわれわれには昔の人が
船宿
(
ふなやど
)
の
桟橋
(
さんばし
)
から
猪牙船
(
ちょきぶね
)
に乗って
山谷
(
さんや
)
に通い
柳島
(
やなぎしま
)
に遊び
深川
(
ふかがわ
)
に
戯
(
たわむ
)
れたような風流を許さず
日和下駄:一名 東京散策記
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
午後
(
ひるすぎ
)
から
亀井戸
(
かめいど
)
の
竜眼寺
(
りゅうがんじ
)
の書院で
俳諧
(
はいかい
)
の
運座
(
うんざ
)
があるというので、
蘿月
(
らげつ
)
はその日の午前に訪ねて来た長吉と
茶漬
(
ちゃづけ
)
をすました
後
(
のち
)
、
小梅
(
こうめ
)
の
住居
(
すまい
)
から
押上
(
おしあげ
)
の
堀割
(
ほりわり
)
を
柳島
(
やなぎしま
)
の方へと連れだって話しながら歩いた。
すみだ川
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
午後
(
ひるすぎ
)
から
亀井戸
(
かめゐど
)
の
龍眼寺
(
りゆうがんじ
)
の
書院
(
しよゐん
)
で
俳諧
(
はいかい
)
の
運座
(
うんざ
)
があるといふので、
蘿月
(
らげつ
)
はその日の午前に
訪
(
たづ
)
ねて来た
長吉
(
ちやうきち
)
と
茶漬
(
ちやづけ
)
をすました
後
(
のち
)
、
小梅
(
こうめ
)
の
住居
(
すまひ
)
から
押上
(
おしあげ
)
の
堀割
(
ほりわり
)
を
柳島
(
やなぎしま
)
の
方
(
はう
)
へと連れだつて話しながら歩いた。
すみだ川
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
柳
常用漢字
中学
部首:⽊
9画
島
常用漢字
小3
部首:⼭
10画
“柳島”で始まる語句
柳島辺
柳島妙見堂