星辰せいしん)” の例文
天地と云い山川さんせんと云い日月じつげつと云い星辰せいしんと云うも皆自己の異名いみょうに過ぎぬ。自己をいて他に研究すべき事項は誰人たれびとにも見出みいだし得ぬ訳だ。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
一本の樹木、山の上の一片の雲の影、牧場の息吹いぶき、星辰せいしんの群がってる騒々しい夜の空……それらを見ても血が湧きたった……。
彼はその背後と周囲とに、無限の深さにおいて、権威、正理、判定せられたるもの、合法的良心、重罪公訴など、あらゆる星辰せいしんを持っていた。
万物声なくただ動いているのは、二人の影と頭上の星辰せいしんのみ。と、やや東のほうが白みかけてきたころだった。地平線上にぽつりと見える一点。
人外魔境:10 地軸二万哩 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
空気清澄にして夜ごとに煌々こうこうたる満天の星辰せいしんを仰ぎ得たるアラビヤ地方に住みて、ヨブはいかに天を仰いで星を歎美しつつあったことであろう。
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
考えが幾多の星辰せいしんに及び、宇宙に及んでゆくとはかり知られぬものがある。畢竟ひっきょう人も草木禽獣魚介の類と共に、宇宙の表れの一つであるに過ぎない。
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
非情の如くに思われる山や川や石や土や日月星辰せいしん風雨霜雪といえども、実は皆生命を持っている。すなわち宇宙の森羅万象は一切生命を持っている。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
たとえば日月星辰せいしんは小さく見ゆるがその実は非常に大なるものであるとか、天体は動くように見ゆるがその実は地球が動くのであるというようなことである。
善の研究 (新字新仮名) / 西田幾多郎(著)
上は星辰せいしんの運行から、下は微生物類の生死に至るまで、何一つ知らぬことなく、深甚微妙しんじんみみょうな計算によって、既往のあらゆる出来事をさかのぼって知りうるとともに
悟浄出世 (新字新仮名) / 中島敦(著)
カントが倫理感の本性を説明して、天にありては輝やく星辰せいしん、地にありては不易の善意と言ったのは、その語調さながらに、この種の倫理的情操を明示している。
詩の原理 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
天體の觀測、わけても星辰せいしんの運行を測る渾天儀は、幕府の天文方にでも行かなければ、容易に見られる品では無く、こんな場所にあらうとは、想像も出來ないことです。
天象てんしやうの觀測者は星辰せいしん樞軸すうぢくを求めて、ヘルクレス、ハルキュオオネを見出し又もろ/\の星宿が
頌歌 (旧字旧仮名) / ポール・クローデル(著)
いて日月星辰せいしんというがごとき荘麗にして物遠いところには心を寄せず四季朝夕の尋常の幸福を求め、最も平凡なる不安を避けようとしていた結果、つとに祭を申し謹み仕えたのは
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
短い時間には脈搏みゃくはくが尺度になり、もう少し長い時間の経過は腹の減り方や眠けの催しが知らせる。地下の坑道にいて日月星辰せいしんは見えなくてもこれでいくぶんの見当はわかるであろう。
映画の世界像 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
八万四千の眷属けんぞくて、蒼海そうかいを踏み、須弥山しゅみせんさしはさみ、気焔きえん万丈ばんじょう虚空を焼きて、星辰せいしんの光を奪い、白日闇はくじつあんの毒霧に乗じて、ほこふるい、おのを振い、一度ひとたび虚空に朝せんか、持国広目ありとというとも
貧民倶楽部 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ひづめおと星辰せいしん
孔雀船 (旧字旧仮名) / 伊良子清白(著)
そして夜になると、あの巨大なる存在者たる星辰せいしんをながめた。アンジョーラのごとく、彼は金持ちでひとり息子であった。
夜の大空の野にきらめくうねをつける星辰せいしん——眼に見えぬ野人の手に扱われる銀のすき——その平和を汝はもっている。
外は日月星辰せいしんの運行より内は人心の機微に至るまでことごとく神の表現でないものはない、我々はこれらの物の根柢において一々神の霊光を拝することができるのである。
善の研究 (新字新仮名) / 西田幾多郎(著)
たちまち暗雲風に開けて雲間に星辰せいしんきらめくを見て、そこにかすかなる希望を起すが如き状態である。
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
むか以太利イタリーの大家アンドレア・デル・サルトが言った事がある。画をかくなら何でも自然その物を写せ。天に星辰せいしんあり。地に露華ろかあり。飛ぶにとりあり。走るにけものあり。池に金魚あり。枯木こぼく寒鴉かんああり。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
尤も、日本の昔の天文學は、今日考へたよりは進歩したもので、徳川時代の初期には、月日のしよくも暦の上で豫言され、學者達は既に地動説も知り、日月星辰せいしんの運行も、一と通りは觀測して居たのです。
わが眼には星辰せいしん雲集し又無限むげん夜天やてん生動せいどうす。
頌歌 (旧字旧仮名) / ポール・クローデル(著)
足下には耕耘こううんし採集し得るもの、頭上には研究し瞑想めいそうし得るもの、地上に数株の花と、空にあらゆる星辰せいしんと。
無数の小さな魂が、彼のうちで暗々裏に、不可知なしかも確かな定まった一点の方へ、引き寄せられていた。空中で一つの神秘なふちから吸い寄せられてる星辰せいしんの世界にも似ていた。
愛にきよめられた二つのくちびるが、創造のために相接する時、その得も言えぬくちづけの上には、星辰せいしん広漠こうばくたる神秘のうちに、必ずや一つの震えが起こるに相違ない。
しかるに今彼はその中をのぞき込んで、混沌こんとんたる暗黒をのみ予期していたところに、恐れと喜びとの交じった一種の異様な驚きをもって、星辰せいしんの輝くのを見たのである。
狂言を押しつぶし、無窮なるものを跪拝きはいすること、それが法則である。創造の木の下にひれ伏し星辰せいしんに満ちたその広大なる枝葉をうち眺めることのみに、止まらないようにしようではないか。
跪拝きはいの心地で、おのが心の朗らかさと精気エーテルの朗らかさとを比べて見、暗やみの中で目に見得る星辰せいしんの輝きと目に見えざる神の光輝とに感動し、未知のものより落ちてくる思いに心をうち開いていた。
そしてその間星辰せいしんの広大なるひらめきが無限の空間を満たしている。