手摺てず)” の例文
木枯こがらしさけぶすがら手摺てずれし火桶ひおけかこみて影もおぼろなる燈火とうかもとに煮る茶のあじわい紅楼こうろう緑酒りょくしゅにのみ酔ふものの知らざる所なり。
矢はずぐさ (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
だがその表題の題簽だいせんも、年経て文字もかすかに手摺てずれてしまい、江戸時代になってから、何代目かの所蔵者が、またその横に、題簽だいせんを貼り加えた。
茶漬三略 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それが手摺てずれの為に、黒い覆皮おおいがわがはげて、所々真鍮しんちゅう生地きじが現われているという、持主の洋服と同様に、如何いかにも古風な、物懐ものなつかしい品物であった。
押絵と旅する男 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
皆赤い表紙の、大きいのや小さいの、手摺てずれしたのやまだ新しい暗号書が、窪みにうずたかく積まれた。
桜島 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
装飾としても好ましい、古く手摺てずれてかえって雅致のある色彩を集めた書棚の前を往ったり来たりして見るついでに、捨吉は教員室の入口に近い壁のところへも行って立って見た。
桜の実の熟する時 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
病人にとっては、懐かしい思い出の地図なのであろう、が、使用した後でもしょっちゅうながめていたと見えて、紙はしわくちゃになって、おまけに手摺てずれで真っ黒になっていた。
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
梯子はしごけなければ、手の届きかねる迄高く積み重ねた書物がある。手摺てずれ、ゆびあか、で黒くなつてゐる。金文字でひかつてゐる。羊皮、牛皮、二百年前の紙、それから凡ての上につもつたちりがある。
三四郎 (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
次に見せて下すったのは『宇津保うつほ物語』でした。これは絵入で、幾冊もあって、厚い表紙は銀泥ぎんでいとでもいいますか、すっかり手摺てずれて、模様もはっきりしません。一冊の紙数は幾らもないのでした。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
壁は同じやうな樫の厚板で張り詰めてありますから、一箇所だけ手摺てずれがして、出入口といふことは直ぐわかります。暫く押したり叩いたりして見ると、どうしたはずみか、いきなりスーツと開きます。
吃驚びっくりして文三がフッとかおを振揚げて見ると、手摺てずれて垢光あかびかりに光ッた洋服、しかも二三カ所手痍てきずを負うた奴を着た壮年の男が、余程酩酊めいていしていると見えて、鼻持のならぬ程の熟柿じゅくし臭いにおいをさせながら
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
里昂リオンにあってはクロワルッスの坂道から、手摺てずれた古い石の欄干を越えて眼下にソオンの河岸通かしどおり見下みおろしながら歩いた夏の黄昏たそがれをば今だに忘れ得ない。
彼が如何に春泥の短篇集を愛読したか、その本の手摺てずれのあとでも想像することが出来るではありませんか。
陰獣 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
やがて画家の一人が給仕を呼んだ。給仕は白い布巾ふきん小脇こわきにはさみながら、皆のところへ手摺てずれた骨牌かるたと骨牌の敷布の汚れたのを持って来た。その骨牌を扇面の形に置いて見せた。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
そういった仁吉のは、落せば爆発する火薬玉でも乗せたように、百両の封金をふたつの手に持って、のみの顔を調べるような眼で、封の目や、紙の手摺てずれなどを、じっと見つめていた。
治郎吉格子 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
私がこの界隈かいわいを歩くのは、いつも古本屋をひやかすのが目的でしたが、その日は手摺てずれのした書物などをながめる気が、どうしても起らないのです。私は歩きながら絶えずうちの事を考えていました。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「その土竈は年代ものらしいが、横の方に壊れてつくろった跡があるだろう。そこの板が取外しが出来るようになっている様子で、なんか手摺てずれの跡がある——その中に思いも寄らぬ大金が隠してないとも限るまい、それとも連判状れんぱんじょうかな」
手摺てずれた古い漆塗りの廻廊を過ぎ、階段をうしろにして拝殿の堅い畳の上に坐って、正面の奥はるかには、金光燦爛きんこうさんらんたる神壇、近く前方の右と左には金地きんじ唐獅子からししの壁画
霊廟 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
ネヂを掛ける二つの穴の周囲から羅馬ローマ数字をいたあたりへかけて、手摺てずれたりげ落ちたりしたあとが着いて、最早もうばあさんのやうな顔の時計であつた。でもまだ斯うして音はして居る。
出発 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
「その土竈は年代ものらしいが、横の方に壞れてつくろつた跡があるだらう。其處の板が取外しが出來るやうになつてゐる樣子で、何んか手摺てずれの跡がある——その中に思ひも寄らぬ大金が隱してないとも限るまい、それとも連判状れんばんじやうかな」