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くわうこく
多分廣告に、
修養のために
讀むべき
書だと
云ふやうな
事が
書いてあつたので、
子供が
熱心に
内容を
知りたく
思つたのであらう。
不圖氣が
付いて
見ると
角に
大きな
雜誌屋があつて、
其軒先には
新刊の
書物が
大きな
字で
廣告してある。
何うだ
北八、
線路の
傍の
彼の
森が
鶯花園だよ、
畫に
描いた
天女は
賣藥の
廣告だ、そんなものに、
見愡れるな。おつと、また
其古道具屋は
高さうだぜ、お
辭儀をされると
六ヶしいぞ。
駿河臺の
少しものさびれたところに、
活動の
廣告の
赤い
行燈が、ぽつかりとついてゐたのが
妙に
頭に
殘りました。なんだかそれが
如何にもかう、
初冬の
一夜といふやうな
感じを起させました。
寒山詩が
所々で
活字本にして
出されるので、
私の
内の
子供が
其廣告を
讀んで
買つて
貰ひたいと
云つた。
別に
行つて
見やうと
思ふものも、
買つて
見たいと
思ふものも
無かつたが、たゞ
是等の
廣告が
判然と
自分の
頭に
映つて、さうして
夫を
一々讀み
終せた
時間のあつた
事と
著者の
名前も
作物の
名前も、一
度は
新聞の
廣告で
見た
樣でもあり、
又全く
新奇の
樣でもあつた。