吾妻下駄あずまげた)” の例文
返事をきくと、お糸はそれですっかり安心したものの如くすたすた路地の溝板どぶいた吾妻下駄あずまげたに踏みならし振返りもせずに行ってしまった。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
女は、しどろな言葉で挨拶あいさつして、来た時の勢いとは、くらべものにならないしょげかたで、どぶ板に、吾妻下駄あずまげたの音を残して帰っていった。
かの女は和装で吾妻下駄あずまげたをからから桟橋に打ち鳴らしながら、まるで二三日の旅に親類へでも行くような安易さだった。
母子叙情 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
さとれた吾妻下駄あずまげた、かろころ左褄ひだりづまを取ったのを、そのままぞろりと青畳に敷いて、起居たちい蹴出けだしの水色縮緬ちりめん。伊達巻で素足という芸者家の女房おんなあるじ
日本橋 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
吾妻下駄あずまげたと駒下駄の音が調子をそろえて生温なまぬるく宵を刻んでゆたかなるなかに、話し声は聞える。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
夏の初、月色ちまたに満つる夜の十時ごろ、カラコロと鼻緒のゆるそうな吾妻下駄あずまげたの音高く、芝琴平社しばこんぴらしゃの後のお濠ばたを十八ばかりの少女むすめ赤坂あかさかの方から物案じそうに首をうなだれて来る。
二少女 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
本堂の中にと消えた若い芸者の姿は再び階段の下に現れて仁王門におうもんの方へと、素足すあしの指先に突掛つっかけた吾妻下駄あずまげた内輪うちわに軽く踏みながら歩いて行く。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
服装いでたちは、将棊しょうぎこまを大形に散らしたる紺縮みの浴衣ゆかたに、唐繻子とうじゅす繻珍しゅちんの昼夜帯をばゆるく引っ掛けに結びて、空色縮緬ちりめん蹴出けだしを微露ほのめかし、素足に吾妻下駄あずまげた
義血侠血 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
わたくしはそれとすれ違いさま、いつもならば踏石の上にのって、催促がましく吾妻下駄あずまげたをかんかんと踏み鳴らし、二階に向って「帰ってよ」と声をかけるのである。
雛妓 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
神田猿楽町さるがくちょうに住んでいた。黄八丈の着物に白ちりめんの帯をしめて、女の穿吾妻下駄あずまげたに似た畳附きの下駄へ、白なめしの太い鼻緒のすがったのを穿いていた。四角い顔の才槌頭さいづちあたまだった。
あたりを構わず橋板の上に吾妻下駄あずまげたならひびきがして、小走りに突然お糸がかけ寄った。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
吾妻下駄あずまげたの音は天地の寂黙せきもくを破りて、からんころんと月に響けり。渠はその音の可愛おかしさに、なおしいて響かせつつ、橋のなかば近く来たれるとき、やにわに左手ゆんでげてその高髷たかまげつか
義血侠血 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「古土タダアゲマス」屋根に書いて破目はめに打付けてあるその露地へ入って行った女は白足袋しろたびの鼠色になった裏がすっかり見えるように吾妻下駄あずまげたの上でひっくらかえす歩き方を繰り返して行く。
豆腐買い (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
泥脚とすねの、びしょびしょ雨の細流せせらぎくいの乱るるがごとき中へ、はねも上げないつまをきれいに、しっとりした友染ゆうぜんを、東京下りの吾妻下駄あずまげたの素足にさばいたのが、ちらちらとまじるを見ると
卵塔場の天女 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
吾妻下駄あずまげたが可愛く並んで、白足袋薄く、藤色の裾を捌いて、濃いお納戸なんど地に、浅黄と赤で、撫子なでしこと水の繻珍しゅちんの帯腰、向うかがみに水瓶みずがめへ、花菫はなすみれかんざしと、リボンの色が、蝶々の翼薄黄色に
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
橋の中央なかばに、漆の色の新しい、黒塗のつややかな、吾妻下駄あずまげたかろく留めて、今は散った、青柳の糸をそのまま、すらりと撫肩なでがたに、葉に綿入れた一枚小袖、帯に背負揚しょいあげくれない繻珍しゅちんを彩る花ならん
式部小路 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
雪のすぐあとへは惜しいほど、黒塗の吾妻下駄あずまげたで、軒かげにななめに立った。
薄紅梅 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)