伝馬町てんまちょう)” の例文
旧字:傳馬町
ことのついでにいってしまえば、もと西巻は、日本橋の石町こくちょう銀町しろがねちょう伝馬町てんまちょう……その界隈を担いであるくぼてふりのさかなやだった。
春泥 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
「——いまのお差配のおっしゃったことを覚えておけよ、りゅう、ここは伝馬町てんまちょうよりおっかねえところらしいからな、おとなしくしようぜ」
さぶ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
どうも、大変な話じゃありませんか。それから組頭がつかまえられると同時に家捜やさがしをされて、当人はそのまま伝馬町てんまちょう入牢にゅうろうさ。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
幕府の末期までこの辺に伝馬町てんまちょう大牢おおろうとともに芳原よしわらがあったので、芳町といい大門通りというのも、それにちなんだものだと言われていたが
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
やっぱり船頭で、大島ちょうの石置場の傍にいる寅吉という奴です。船頭といっても、博奕が半商売で、一つ間違えば伝馬町てんまちょうへくらい込むような奴で……。
当村はその時分小普請組こぶしんぐみ御支配綱島右京様つなじまうきょうさま御領分にて有之候間、寺男慶蔵は伝馬町てんまちょう御牢屋おろうやへ送られ、北の御奉行所ごぶぎょうしょ御掛おかかりにて、厳しく御吟味ごぎんみに相なり候処
榎物語 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
今から四十年前に小説復刻の元祖たる南伝馬町てんまちょう稗史はいし出版社に続いて馬琴の『俊寛僧都しゅんかんそうず島物語』や風来ふうらいの『六々部集』を覆刻したので読書界に知られた印刷所であった。
……番代りの晦日みそか伝馬町てんまちょう堺屋さかいやへ検死に行ったのはどいつだ。……嘉兵衛と鶴吉を虎列剌ころり判定きめつけてうっそり帰って来たのは、いってえどいつだ。言え、この中にいるだろう
顎十郎捕物帳:05 ねずみ (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
お松がここで行けと言われている家は、四谷の伝馬町てんまちょうの神尾という三千石の旗本はたもとであります。
そのとき死骸のそばに、伝馬町てんまちょうの万次という野郎がウロウロしていたというんだ、——男っりはいが、一向他愛のない安やくざだよ。その場から煙のように消えてしまったのだ。
つわ、飲むわ——博徒ばくとの仲間にはいって、人殺し兇状を重ね、とうとうほんものの泥棒渡世とせいをかせいで、伝馬町てんまちょうの大牢でも顔を売り、ついに、三宅島みやけじまに送られ、そこを破ってからは
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
普通ならば伝馬町てんまちょうものだが、表だたば北村大学殿が家門断絶に会わねばならぬ。
直樹の父親の旦那だんなは、伝馬町てんまちょうの「大将」と言って、紺暖簾こんのれんの影で采配さいはいを振るような人であったが、その「大将」が自然と実の旦那でもあった。
家:01 (上) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
そこで今、伝馬町てんまちょうの薬屋で瘡毒そうどく一切いっさい妙薬みょうやくといふ赤膏薬あかこうやくを買つて来たのだが、そこで直ぐに貼つてしまへばいのに、極まりを悪がつて其儘そのままに持つてゐるのだ。
赤膏薬 (新字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
伝馬町てんまちょうすじの裏に長屋の一軒を借りると、その家ぬしの世話で、さしたる苦労もなく城下はずれの畷道なわてみちに、小坂井でしていたのとおなじ小あきないの店をもつ事ができた。
日本婦道記:箭竹 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
用意の駕籠へのせると、黙々として川一つ越えた伝馬町てんまちょう不審牢ふしんろうへ伴いました。
囚人を伝馬町てんまちょうの牢からひきだして駕籠に乗せ、南と北の与力と同心がおのおの二人ずつ八人がつきそって御浜おはま永代橋えいたいばし、さもなければ蠣店かきだな新堀しんぼり、そのどこかの河岸まで持って行きますと
顎十郎捕物帳:13 遠島船 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
そして日本橋伝馬町てんまちょう鰹節かつおぶし問屋に生れた岡見は成功した。この事実は彼の若い心に深い感銘を刻みつけた。愛のすなきを悟ったのは実にその時であった。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
長三郎はすぐ伝馬町てんまちょうへ送られた。七兵衛は今度の事件に関係のある岩蔵、民次郎、寅七の三人を呼んで、本所の木賃宿に泊っている甲州の猟師を召捕れと云いつけた。
半七捕物帳:18 槍突き (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
伝七は五十五、六、倉太は四十七、八、才次は二十八、九だろう、三人とも本職の土方あがりであり、ともに伝馬町てんまちょうの大牢にいた、ということを誇りにしているようであった。
さぶ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「小鰭の鮨売を四十人……伝馬町てんまちょうの牢屋敷で鮨屋でもはじめますか」
顎十郎捕物帳:22 小鰭の鮨 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
大番屋おおばんやへ送られて三人は更に役人の吟味を受けた後に、新次郎は重罪であるからすぐに伝馬町てんまちょうの牢屋へ送られた。お直は宿許やどもとへあずけられ、宇吉は主人方へ預けられた。
半七捕物帳:49 大阪屋花鳥 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
その一方は駿河台するがだいへ延びて神田かんだを焼きさ、伝馬町てんまちょうから小舟町こぶなちょう堀留ほりどめ小網町こあみちょう、またこっちのやつは大川を本所ほんじょに飛んで回向院えこういんあたりから深川ふかがわ永代橋えいたいばしまできれえにいかれちゃった
柳橋物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
岡見が伝馬町てんまちょうの自宅の方から雑誌社の隣家となりに来て寝泊りするほど熱心に今では麹町の学校の事業しごとを助けていること、その岡見が別に小さな雑誌をも出していること、岡見に好い弟があり妹があること
桜の実の熟する時 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
やはり四谷通りの伝馬町てんまちょう会津屋あいづやという刀屋の店を出していましたので、わたくしの家とは近所でもあり、かたがたしてわたくしの家の後見というようなことになっていました。
蜘蛛の夢 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
これもそれと似寄によりの話で、やはり十七年の秋と思う。わたしが父と一所いっしよに四谷へ納涼すずみながら散歩にゆくと、秋の初めの涼しい夜で、四谷伝馬町てんまちょうの通りには幾軒の露店よみせが出ていた。
思い出草 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
その起こりは安政元年四月二十三日、夜の五ツ(午後八時)少し前の出来事で、日本橋伝馬町てんまちょうの牢内で科人とがにん同士が喧嘩をはじめて、大きい声で呶鳴るやら、殴り合いをするやら大騒ぎ。
半七捕物帳:64 廻り灯籠 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
伝馬町てんまちょうの大通りへ出て、ふと見ますと、会津屋の前には大勢の人立ちがしているので、何とはなしにはっとして、急いで店先へ駈けて行きますと、そこには一挺の駕籠がおろしてありまして
蜘蛛の夢 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
いえ。今度伝馬町てんまちょうへ行けば仕舞い湯だ。てめえ達のような下っ引にあげられて堪まるものか。もち竿で孔雀を差そうとすると、ちっとばかりあてがちがうぞ。おれを縛りたけりゃあ立派に十手と捕り縄を
半七捕物帳:09 春の雪解 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)