一疋いっぴき)” の例文
「台無しだ。とにかく、心配してもらわんでも、うまく料理するよ。高が小娘一疋いっぴきぐらい、いざとなれば、指の先で、ぴしっ——」
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
一疋いっぴきの猫のようで猫よりはすこし大きな獣が入って来て、榻の下に隠れるように入って体を延べたり屈めたりして離れなかった。
小翠 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
流れる血は生きているうちからすでに冷めたかったであろう。烏が一疋いっぴき下りている。つばさをすくめて黒いくちばしをとがらせて人を見る。
倫敦塔 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
この一疋いっぴきの野猫に散々手こずらされては居たが、それでもこの野良者の存在は鼠よけの為には予期しない効果を現わしているらしかった。
池の彼方かなたに、霧のそらなる龍宮の如き御堂みどうの棟をしずかな朝波の上に見つつ行くと、水を隔てた此方こなたみぎわに少しさがる処に、一疋いっぴき倒れた獣があった。
露萩 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
女の仕事は機織はたおりであつて即ち甲斐絹かいきを織り出すのである。その甲斐絹を織る事は存外利の多いものであつて一疋いっぴきに二、三円の利を見る事がある。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
と、一疋いっぴきの大きな猫がどこから来たのかつうつうと入って来て、前の膳の上に乗っけてあった焼肴やきざかなの残り肴をくわえた。
皿屋敷 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
「ええ、ようござんすとも。あっしにゃ学問のことは分らねえが、鬼の一疋いっぴきや二疋ぶち殺す役ならいつでも引受ひきうけますよ」
黒襟飾組の魔手 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
やがて、兵士たちは松明の周囲へことごとく集って来ると、それぞれ一疋いっぴきの鹿をって再び山の麓の方へ降りていった。
日輪 (新字新仮名) / 横光利一(著)
けれども、それが渡瀬にとってはかえって冒険心をそそる種になった。何、おぬいさんだって女一疋いっぴきにすぎないんだ。びくびくしているがものはない。
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
「こちらが少しはお涼しゅうございましょう」と云って爺いさんに連れて来られた黄昏たそがれに、大きな蝦蟇がま一疋いっぴきいつまでも動かずに、おりおり口をぱくりと開けて
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
午二剋うまのにこくに、人鳥の扮装をした東大寺林邑楽が、供物をささげ、東西二列に分かれて舞台から堂上へと静かに歩いて行く。舞台には一疋いっぴきの大きい白象が立っている。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
母が一疋いっぴき取て台石だいいしの上に置くと私はコツリと打潰うちつぶすと云う役目で、五十も百もずその時に取れるけ取て仕舞しまい、ソレカラ母も私も着物を払うてぬかで手を洗うて
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
ただ一つだけ解ってるのは、午後の四時になる少し前に、どこからか、どうしてか解らないが、とにかく一疋いっぴきの大きな黒猫が、室内に現われてくるという事実であった。
ウォーソン夫人の黒猫 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
空を又一疋いっぴきたかけて行きましたが土神はこんどは何とも云わずだまってそれを見ました。
土神ときつね (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
その途端私は、私の側に一疋いっぴきの犬が来ているのを見た。私は犬が大好きだ。犬を見ると私は、何かの因縁につながれてでもいるように引きつけられる。私は犬と遊び出した。
何うしてもってやらねえばなりませんが、此間こねえだもうけもんでござえまして、蝦夷虫えどむし一疋いっぴき取れば銭い六百ずつくれると云うから、大概の前栽物せんざいもの脊負しょい出すより其の方が楽だから
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
一疋いっぴきの狗が中で吠えた。彼は急いで瓦のカケラを拾い上げ、もう一度前へ行って、今度は力任せにぶっ叩いて黒門の上に幾つも痘瘡あばたが出来た時、ようやく人の出て来る足音がした。
阿Q正伝 (新字新仮名) / 魯迅(著)
けれど決して鼠一疋いっぴきといえども其処を通ったものはさとらずにはいない。それ程、彼の霊魂はさとくあった。老人自身でもよくいうのに、肉体が衰えれば精神はそれだけさとくなるものだと。
薔薇と巫女 (新字新仮名) / 小川未明(著)
ただ眼の大きな一疋いっぴきの蠅だけは、薄暗いうまやすみ蜘蛛くもの巣にひっかかると、後肢あとあしで網を跳ねつつしばらくぶらぶらと揺れていた。と、豆のようにぼたりと落ちた。
(新字新仮名) / 横光利一(著)
毛色のかわった犬一疋いっぴきにおいの高い総菜にも、見る目、ぐ鼻の狭い土地がら、おもかげを夢に見て、山へ百合の花折りに飄然ひょうぜんとして出かけられたかもはかられぬを、狭島の夫人、夜半より
悪獣篇 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
嫂はそのままそこにいたところで、一疋いっぴきの大きな猫が鸚鵡をくわえて室の前を通っていった。嫂はびっくりした。嫂はこれはどうしても阿英だろうと思った。その時嫂は髪をかいてた。
阿英 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
その窓の横には「やもり」が一疋いっぴき這ふて居る。屋根は板葺いたぶきで、石ころがいくつも載せてある。かういふ家が画の正面の大部分を占めて居つて、その家は低い石垣の上に建てられて居る。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
言葉を一万積み重ねても、はえ一疋いっぴき殺すことはできぬものだ
城を守る者 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
今は、彼の妻は、ただ生死の間を転っている一疋いっぴきの怪物だった。あの激しい熱情をもって彼を愛した妻は、いつの間にかことごとく彼の前から消え失せてしまっていた。
花園の思想 (新字新仮名) / 横光利一(著)