“やしろ”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:ヤシロ
語句割合
85.4%
5.5%
屋代2.6%
社殿1.8%
神社1.1%
八代0.7%
社廟0.4%
0.4%
宮社0.4%
小祠0.4%
山城0.4%
0.4%
矢代0.4%
祠堂0.4%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
後で聞くと、昌さんは例の正代の母親にあたる白痴が来ると、ひる間でも近くの絵馬なんかのある建物の中に二人で寝るという。
石ころ路 (新字新仮名) / 田畑修一郎(著)
夜の十一時頃に、わたし達は町と村との境にある弁天ののそばを通った。当夜の非番で、村の或る家の俳句会に出席した帰り路である。
鴛鴦鏡 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
屋代で汽車を下りて車に乘つた。折柄の名月で、爽かな音を立てゝ流れる千曲川は銀色に光つてゐた。長い橋を渡る時欄干に腰かけてゐる二人の女を見た。
山を想ふ (旧字旧仮名) / 水上滝太郎(著)
稻荷樣をすやうで氣がさすので、社殿を全部寄進する代り、古いを何も彼も申受け、此根岸の寮に移して、拜殿に掛けた父の最後の傑作——玲瓏たる名鈴の音に
肉体通例附近森蔭神社床下などにき、ただいたのみを遠方すものでござる。
前海相八代氏の実兄尾藩磅礴隊士松山義根を経て、尾張小牧郵便局倉知伊右衛門さんの有に帰し、倉知氏はわたくしを介してこれを津下氏に贈与した。
津下四郎左衛門 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
泰山はこの日、人間の雲だった。わけて東岳廟を中心とするたてものの附近は社廟の屋根から木の上までがまるで鈴なりの人である。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
のお社廟を彼方に、泰山街道はもうえんえんとのような参拝者の流れだった。多くは相撲の噂でもちきりである。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
忠太郎 先刻の様子が変なので、もしやと思って気にもかかるし、夜に入っては旅も面倒と、そこにある森の中の、を今夜はときめ、夜が明けるのを待つ気でいると、こいつ等が来て相談よ。
瞼の母 (新字新仮名) / 長谷川伸(著)
江戸の、とある町にあるに近き夏の夜。
瞼の母 (新字新仮名) / 長谷川伸(著)
鍛冶小路の辻まで来ると庄三郎は足を止めたが、「いっそ神明の宮社がよかろう」
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
其処で村の人達は相会して、これには何か不思議な仔細があるのであろうと議結をして小祠を大きな合歓の木の下に建立して、どうかこの村に何事のもないように
稚子ヶ淵 (新字新仮名) / 小川未明(著)
罪の軽くすむように、母上と共に、郊外の御岳へ、祈願をこめに行って、夜明けぬうちに戻るからと頼めば、彼らもきっと、見ぬふりをしてくれるにちがいありません
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
厩方のさむらい矢代勝介、太郎左衛門兄弟、村田吉五などはそこを去って、信長の姿の見えた御殿の階下に立ち、ここを最後の奉公場所としてみな討死の枕をならべた。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
小櫻姫貞女亀鑑である』などと、しまして、死後祠堂ってくれました。それが現今っている、あの小桜神社でございます。