屋代やしろ)” の例文
「この屋代やしろの者で名はお秋といいます、親きょうだいのないひとり身で気のどくな娘ですから。どうかおめをかけてやって下さいまし」
日本婦道記:不断草 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
屋代やしろで汽車を下りて車に乘つた。折柄の名月で、爽かな音を立てゝ流れる千曲川は銀色に光つてゐた。長い橋を渡る時欄干に腰かけてゐる二人の女を見た。
山を想ふ (旧字旧仮名) / 水上滝太郎(著)
この敵討のあった時、屋代やしろ太郎弘賢ひろかたは七十八歳で、九郎右衛門、りよに賞美の歌を贈った。
護持院原の敵討 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
信州では雨宮あめみや山王さんのう様と、屋代やしろの山王様と同じ三月さるの日の申の刻に、村の境の橋の上に二つの神輿みこしが集って、共同の神事がありました。その橋の名を浜名の橋といっております。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
屋代やしろ近傍に出たり、北国街道との聯絡路を遮断しゃだんしてみたり、更に、上杉方が唯一の助け城とたのんでいる長野村近傍の小柴にある旭城の味方とのあいだを、真二つに断ち切るような勢いを示して
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さきほど申上げました屋代やしろ五郎左衛門ら五名の、国目付に対する強訴、そして涌谷どのの出府、これだけ揃えばもはや充分でございましょう。
今日吾知免こんにちわれめんをしる亦将騎鶴遊またつるにのりてあそばんとす上帝賚殊命じょうていしゅめいをたまう使爾永相休なんじをしてながくあいやすましめんと。」「年浪としなみのたち騒ぎつる世をうみの岸を離れて舟でむ。」石居は酒井さかい石見守いわみのかみ忠方ただみちの家来屋代やしろ某のじょめとって、三子二女を生ませた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)