“こうはん”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
広汎62.5%
光斑7.5%
後半5.0%
洪範5.0%
鋼板5.0%
江畔2.5%
広範2.5%
広胖2.5%
甲板2.5%
紅帆2.5%
闔藩2.5%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
少なくとも文化ぶんか文政ぶんせい頃まではさかのぼろうと思う。極めて多量に生産せられたそろいものであって、販売せられた分布区域もはなはだ広汎こうはんである。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
間もなく、異様な一団の全部が、みんな自分のからだを気味わるく光斑こうはんで明滅させるようになった。
三十年後の世界 (新字新仮名) / 海野十三(著)
かれのまだちからないつたかま刄先はさき女房にようばう棺臺くわんだいしたのぞいてからりとわたつたときかれ悚然ぞつとしていた。へび身體からだ後半こうはんかれあしもとにあらはしてしろはらせた。かま刄先はさきへびつたのである。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
(「皇宗の後裔にのこし給える統治の洪範こうはん紹述しょうじつするに外ならず」という一句がある。)
この裝甲さうかう現今げんこんもつぱおこなはれてるハーベーしき堅硬法けんかうほふほどこしたる鋼板こうはんもしくは白銅鋼板等はくどうこうばんとうよりは、數層倍すうそうばい彈力性だんりよくせい抵抗力ていこうりよくいうするある新式裝甲板しんしきさうかうばんにて、櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさ幾星霜いくせいさうあひだ
江畔こうはんの大地主穆家ぼくけでは、明けがた大勢の客を迎え入れていた。息子二人は手柄顔てがらがおに、江上こうじょうから連れ帰った珍客の宋江そうこうを、まずわが親にひきあわせる。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ここは江畔こうはんの一軒。例の田舎酒屋のじいさんと、せがれの王定六とが、いまし方、店を開けたばかりのところだった。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
厩中間うまやちゅうげんから取り立て、だんだん重用して、いまでは譜代ふだい同様な待遇と広範こうはんな職権を与えている者なので——平六の云い分もわかるが——裁決に困るのであった。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
会田安明、坂部広胖こうはん、長谷川父子などがその例であり、山路主住は天文方に出ているが教授を内職として多少の収入もあったようである。藤田貞資、白石長忠、内田五観いつみなども同様であったろう。
たゞ甲板こうはんに据ゑぬればげにや笑止しようしきはみなる。
海潮音 (新字旧仮名) / 上田敏(著)
いま、船は加賀かがの北浦に沿って、紅帆こうはん黒風こくふうのはためき高く、いよいよ水脚みずあしをはやめている。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この進言が抽斎の意よりで、兼松三郎がこれをけて案を具し、両用人の賛同を得て呈せられたということは、闔藩こうはん皆これを知っていた。三郎は石居せききょと号した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)