随行ずいこう)” の例文
旧字:隨行
この野だは、どういう了見りょうけんだか、赤シャツのうちへ朝夕出入でいりして、どこへでも随行ずいこうしてく。まるで同輩どうはいじゃない。主従しゅうじゅうみたようだ。
坊っちゃん (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
不破ふわ彦三勝光に金森五郎八長近のふたりが随行ずいこうした。こう二者は共に柴田の直臣だ。副使の格であるが、利家にたいする目付めつけたることはいうまでもない。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
平素春琴に随行ずいこうして検校の家で待っている間にいかに注意深く他人の稽古を聴いていたかを証するに足りる。
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
すなわち紹介しょうかいを求めて軍艦奉行ぐんかんぶぎょうやしき伺候しこうし、従僕じゅうぼくとなりて随行ずいこうせんことを懇願こんがんせしに、奉行はただ一面識いちめんしきもと容易たやすくこれをゆるして航海こうかいれつに加わるを得たり。
を終り、十月に、保良宮に行幸した。天皇も同行し、道鏡も随行ずいこうした。押勝は都に残った。
道鏡 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
当時随行ずいこう部下の諸士が戦没せんぼつし負傷したる惨状さんじょうより、爾来じらい家に残りし父母兄弟が死者の死を悲しむと共に、自身の方向に迷うて路傍ろぼう彷徨ほうこうするの事実を想像し聞見もんけんするときは
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
そして、内蔵助の帰洛きらく随行ずいこうして、上方かみがたへ上って、しばらく京阪の間に足をとどめていた。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
なお該隊がいたいには、先導偵察機五機、戦闘機十四機を、随行ずいこうせしめつつあり。終り
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
先生咸臨丸かんりんまる米行べいこうきょありと聞て、予が親戚しんせき医官いかん桂川氏かつらがわしかいしてその随行ずいこうたらんことを求められしに、予はこれさいわいの事なりと思い、ただちにこれをがえんじ、一けんきゅうのごとし。
随行ずいこうとしては、宿将、旗本、小姓衆から銃隊弓隊、また赤柄あかえの槍組とつづき、医者、茶道衆、祐筆ゆうひつ俳諧師はいかいし沙門しゃもん、荷駄隊にいたるまで——見送っても見送っても人馬の列は容易に尽きない。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
摂津守を総督そうとくに任じて随行ずいこうには勝麟太郎かつりんたろう(今の勝安芳やすよし)以下長崎伝習生でんしゅうせいを以てし、太平洋をわたりて北米ほくべい桑港サンフランシスコくことを命じ、江戸湾を解纜かいらんしたるは、実に安政あんせい六年十二月なり。
れいの鎖駕籠くさりかごをいと厳重げんじゅう警固けいごして、随行ずいこうには軍師ぐんし昌仙しょうせん早足はやあし燕作えんさく、吹針の蚕婆かいこばばあ、そのほか五十余名の浪人ろうにんが、鳴り物こそ使わないが、いわゆる一そくの陣あゆみで、ピタッ、ピタッ、ピタッ
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)