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ちかまつ
ふりがな文庫
“
近松
(
ちかまつ
)” の例文
西鶴
(
さいかく
)
や
其磧
(
きせき
)
や
近松
(
ちかまつ
)
の世話物などは、ともに世相の写し絵として、くりかえし引用せられているが、言葉の多い割には題材の範囲が狭い。
木綿以前の事
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
わたくしはかつて歴史の教科書に、
近松
(
ちかまつ
)
、
竹田
(
たけだ
)
の脚本、
馬琴
(
ばきん
)
、
京伝
(
きょうでん
)
の小説が出て、風俗の
頽敗
(
たいはい
)
を致したと書いてあるのを見た。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
人は『源氏物語』や
近松
(
ちかまつ
)
や
西鶴
(
さいかく
)
を挙げてわれらの過去を飾るに足る天才の発揮と
見認
(
みと
)
めるかも知れないが、余には
到底
(
とうてい
)
そんな
己惚
(
うぬぼれ
)
は起せない。
『東洋美術図譜』
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
初秋に出る掛物は常に
近松
(
ちかまつ
)
の自画自讃ときまっていた。それは鼠色の紙面へ
淡墨
(
うすずみ
)
を以て
団扇
(
うちわ
)
を持てる女の夕涼みの略図に俳句が添えてあった。
大切な雰囲気:03 大切な雰囲気
(新字新仮名)
/
小出楢重
(著)
近松
(
ちかまつ
)
の書きました女性の中でお
種
(
たね
)
にお
才
(
さい
)
、
小春
(
こはる
)
とお
三
(
さん
)
などは女が読んでも
頷
(
うなず
)
かれますが、貞女とか忠義に凝った女などは人形のように思われます。
産屋物語
(新字新仮名)
/
与謝野晶子
(著)
▼ もっと見る
文芸に携わる者は誰も皆
其処
(
そこ
)
に基調を持つ。芭蕉と同時代にあった
近松
(
ちかまつ
)
でも
西鶴
(
さいかく
)
でもいずれも、もののあわれを感じて筆を執ったことに変りはない。
俳句への道
(新字新仮名)
/
高浜虚子
(著)
二葉亭も
院本
(
いんぽん
)
や小説に沈潜して好んで
馬琴
(
ばきん
)
や
近松
(
ちかまつ
)
の真似をしたが、根が漢学育ちで国文よりはむしろ漢文を喜び、かつ深く露西亜文に
親
(
したし
)
んでいたから
二葉亭四迷の一生
(新字新仮名)
/
内田魯庵
(著)
わが国の
沙翁
(
しゃおう
)
近松
(
ちかまつ
)
は劇作の第一原則の一つとして、見る人に作者の秘密を打ち明かす事が重要であると定めた。
茶の本:04 茶の本
(新字新仮名)
/
岡倉天心
、
岡倉覚三
(著)
新俳優
伊井蓉峰
(
いいようほう
)
小島文衛
(
こじまふみえ
)
の一座
市村座
(
いちむらざ
)
にて
近松
(
ちかまつ
)
が『
寿門松
(
ねびきのかどまつ
)
』を一番目に鴎外先生の詩劇『
両浦島
(
ふたりうらしま
)
』を
中幕
(
なかまく
)
に紅葉山人が『
夏小袖
(
なつこそで
)
』を
大喜利
(
おおぎり
)
に据ゑたる事あり。
書かでもの記
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
(熱心に棚の書物を検べる。)
近松
(
ちかまつ
)
全集、
万葉集略解
(
まんえふしふりやくげ
)
、たけくらべ、アンナ・カレニナ、
芭蕉
(
ばせう
)
句集、——ない。ない。やつぱりない。ないと云ふ筈はないのだが……
LOS CAPRICHOS
(新字旧仮名)
/
芥川竜之介
(著)
内證
(
ないしよ
)
の
情婦
(
いろ
)
のことを、おきせんと
言
(
い
)
ふ。たしか
近松
(
ちかまつ
)
の
心中
(
しんぢう
)
ものの
何
(
なに
)
かに、おきせんとて
此
(
こ
)
の
言葉
(
ことば
)
ありたり。どの
淨瑠璃
(
じやうるり
)
かしらべたけれど、おきせんも
無
(
な
)
いのに
面倒
(
めんだう
)
なり。
寸情風土記
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
(著)
それが
近松
(
ちかまつ
)
や
黙阿弥
(
もくあみ
)
張りにおもしろくつづられていたものである。これは実に愉快な読み物であったが、さすがにこのごろはそういうのは、少なくも都下の新聞にはまれなようである。
ジャーナリズム雑感
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
手習いがいやなのではなく、
寺院
(
おてら
)
の
夫人
(
だいこく
)
さんが、針ばかりもたせようとするのが嫌だったのだ。もっとも、
近松
(
ちかまつ
)
や
西鶴
(
さいかく
)
の生ていた時代に遠くなく、もっとも義太夫
節
(
ぶし
)
の
膾炙
(
かいしゃ
)
していた
京阪
(
けいはん
)
地方である。
旧聞日本橋:20 西川小りん
(新字新仮名)
/
長谷川時雨
(著)
米屋甚助事
石黒善太夫
(
いしぐろぜんだいふ
)
筆屋三右衞門事
福島彌右衞門
(
ふくしまやゑもん
)
町方
住居
(
ぢうきよ
)
の手習師匠
矢島主計
(
やじまかずへ
)
辰巳屋
(
たつみや
)
石右衞門番頭三次事
木下新助
(
きのしたしんすけ
)
伊丹屋十藏事
澤邊
(
さはのべ
)
十藏酒屋長右衞門事
松倉
(
まつくら
)
長右衞門町
醫師
(
いし
)
高岡玄純
(
たかをかげんじゆん
)
酒屋新右衞門事
上國
(
かみくに
)
三九郎
鎗術
(
さうじゆつ
)
指南
(
しなん
)
の浪人
近松
(
ちかまつ
)
源
(
げん
)
八上總屋五郎兵衞事
相良
(
さがら
)
傳
(
でん
)
九郎と各々
改名
(
かいめい
)
させ都合十人の者を
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
もっとも先刻、
近松
(
ちかまつ
)
が
甚三郎
(
じんざぶろう
)
の話を致した時には、伝右衛門殿なぞも、眼に涙をためて、聞いて居られましたが、そのほかは——いや、そう云えば、面白い話がございました。
或日の大石内蔵助
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
近松
(
ちかまつ
)
や
西鶴
(
さいかく
)
が残した文章で、如何なる感情の激動をもいい
尽
(
つく
)
し得るものと安心していた。
音波
(
おんぱ
)
の動揺、色彩の濃淡、空気の
軽重
(
けいちょう
)
、そんな事は少しも自分の神経を
刺戟
(
しげき
)
しなかった。
深川の唄
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
近松
(
ちかまつ
)
の俊寛は
源平盛衰記
(
げんぺいせいすゐき
)
の俊寛よりも、遙かに偉い人になつてゐる。勿論
舟出
(
ふなで
)
を見送る時には、嘆き悲しむのに相違ない。しかしその
後
(
ご
)
は近松の俊寛も、安らかに余生を送つたかも知れぬ。
澄江堂雑記
(新字旧仮名)
/
芥川竜之介
(著)
“近松(
近松門左衛門
)”の解説
近松 門左衛門(ちかまつ もんざえもん、承応2年〈1653年〉 - 享保9年11月22日〈1725年1月6日〉)とは、江戸時代前期から中期にかけての人形浄瑠璃および歌舞伎の作者。本名は杉森 信盛(すぎもり のぶもり)。平安堂、巣林子(そうりんし)、不移山人(ふいさんじん)と号す。家紋は「丸に一文字」。
(出典:Wikipedia)
近
常用漢字
小2
部首:⾡
7画
松
常用漢字
小4
部首:⽊
8画
“近松”で始まる語句
近松秋江
近松門左衛門
近松半二
近松寺
近松勘六
近松語彙
近松巣林子