あと)” の例文
貫一は着更きかへんとて書斎に還りぬ。宮ののこしたる筆のあとなどあらんかと思ひて、求めけれども見えず。彼の居間をも尋ねけれど在らず。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
因って二里半歩み巨勢へ往き薬を求め還って見れば小舎の近傍に板箕いたみほど大きなあとありて小舎に入り、入口に血したたりて妻子なし。
逃虚子集とうきょししゅうを読むに、道衍が英雄豪傑のあとに感慨するもの多くして、仏灯ぶっとう梵鐘ぼんしょうの間に幽潜するの情のすくなきを思わずんばあらざるなり。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
先づ事の重大にしてあとの明確なるものより言はむに、柏軒は十月十六日に「医学館医書彫刻取扱手伝」を命ぜられた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
見わたす限り草茫々ぼうぼうの野原に過ぎなかった。石あれば楼台のあと、水あれば朱欄しゅらんの橋や水亭の玉池ぎょくちがあったあとである。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かの僧が褐色の衣を着たる死人の殆どおのれとおなじさまなると共にめること、かの僧があまたの尊き人の上を語り、あまたの不思議のあとを話すこと
歌ふを最もよろこぶ鳥に己が形を變へたる女の殘忍なりし事のあとわが想像の中にあらはれぬ 一九—二一
神曲:02 浄火 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
藩主より賞賜しょうしあれば部内の堤防に用い、貧民の肥料培養等の用に供し、種々仁政のあとあり。前原一誠の乱、その門人にして前原にくみせし者多し、みずからまた官嫌かんけんこうむる。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
反逆者の魂にこもる執著のいてさせる業としか思われない。しかもその成し遂げたあとを見るに、そこには人文の中心に向ってかなでられる微妙な諧和が絶えず鳴り響いている。
医学士がうなずいたので、橘が筆をあてがうと、わずかに枕をもたげ、天地べにの半きれに、薄墨のあわれ水茎のあと、にじりがきの端に、わかまいらせそろとある上へ、少し大きく、い手で脇屋欽之助つま
註文帳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
反古には優しい筆のあと
『大清一統志』一八一に甘粛かんしゅくの馬踪嶺はけわしくて道通ぜなんだが、馬をこの山に失いあとを追うてたちまち婺州むしゅうに達してより道が開けたとづ。
さすがにその人の筆のあとを見ては、今更に憎しとも恋しとも、絶えておもひには懸けざるべしと誓へる彼の心も、睡らるるまでに安かる能はざるなり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
暫しありて、猶封中より落ち散りたりし一ひら二ひらの紙を取り上げ見れば、一はわが拿破里ナポリに往くとしるして、フルヰアのおうなに渡しゝ筆のあとなり。
折衷派だに稀なる今の我小説界にて、人間派を求めむは、文學に忠誠なる判者の事にあらずとやうに、時のつとめをおもひて、迂濶うくわつなる批評家をおどろかさむとしたるあと、歴々として見ゆるならずや。
柵草紙の山房論文 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
この辺には、古いとりであとを中心に、一かくの武家町がある。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しこうして貧を救い人をすくえるあとすこぶる多し。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
それから蛸と同類で、現世界には化石となってのみあとを留むるアンモナイツは、漢名石蛇というほどいた蛇によく似いる。
吾等は夫婦たること既に三年、今ヱネチアに至る途上、再び此島に遊びて、昔日奇遇のあとを問はんとするなり。室の一隅には、又一老婦のもろ手を幼女の肩に掛けたるあり。
わたくしは此より樵歌の叙する所に就いて、霞亭が幽棲のあとたづねる。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
「実は、御先祖のつかへ、墓まいりに行ってまいりました。早暁に出て、御酒宴の前までには立帰って来るつもりでしたが、いにしえあとは草に埋もれ田と変り、なかなか見つからないものですから、つい遅く相成りました」
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
例せば兎く猟犬がその跡を尋ぬる法を知り極めて巧みに走ってあとくらます。