落莫らくばく)” の例文
家も住む人がなくなって売屋敷となっておるその落莫らくばくの感じのするところのものを、天然も冬枯れておる木立の中に尋ね入るのである。
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
彼はその当座とうざどこへ行っても、当然そこにいるべき母のいない事を見せられると、必ず落莫らくばくたる空虚の感じに圧倒されるのが常であった。
素戔嗚尊 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
という流言は、ほんの一時にせよ、魔符まふのように、武田陣のあいだに広まり、みるみるうち落莫らくばくたる気落ちの色が全軍をおおった。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
げんに雨と靉日あいじつ落莫らくばくたるただずまいとが、いましっかり私を押さえつけて、この多角的な怪物の把握で窒息させようとしているくらいだ。
ああ、この先の、生のない、声のない、落莫らくばくたる世間……いや、今日はまだそんな事は考えられない……だが明日あすは、明日はそうなるだろう。
ていれるしオォルは揃わぬし、外から見た目には綺麗きれいでも、ぼくには早や、落莫らくばく蕭条しょうじょうの秋となったものが感ぜられました。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
頃日、机に向っていると、矢折れ刀つきた落莫らくばくたる気持ちだけれども、それは、自分で這入りいい処をただがさがさと摸索していたに過ぎないのだ。
生活 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
近所の衆や、親類の者が來て、今日の葬式の支度だけは急いで居りますが、悲劇の家は、何となく落莫らくばくとして、身に沁みるやうな淋しさがあります。
この落莫らくばくたる生活があわれを認められ、ついに人間の詩の中に入って来るのも、そう遠い未来ではないように思われる。
だが話し手としては、秋風落莫らくばくたるところへ明るい光をささせる効果を狙って、そうした話を加えたようであった。
如何なる星の下に (新字新仮名) / 高見順(著)
父親は娘の前途をのろっただけで、行方ゆくえを捜索しようともしなかった。家の中はいよいよ落莫らくばくたるものになった。主人の吝嗇りんしょくはますます露骨になってきた。
誰かも云ったように、砂漠と苦海の外には何もない荒涼落莫らくばくたるユダヤの地から必然的に一神教が生れた。
札幌まで (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
唯、一帯の荒涼な風景のすべてから或る広々した思いがしたばかりであった。それとむすことを結びつけて考えようとするお俊は、なお落莫らくばくとしたものを感じた。
童話 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
正月二十日は東宮の御袴着おんはかまぎ、ついで御魚味初おんまなはじめというので、宮中はめでたい行事で賑ったが、落莫らくばくとした鳥羽殿の法皇にはほとんど別世界の出来事のように思われた。
が、こう世の中が世智辛せちがらくなっては緑雨のような人物はモウ出まいと思うと何となく落莫らくばくの感がある。
斎藤緑雨 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
午後四時ごろで、空がどんよりとくもつてゐた。落莫らくばくとした小さな駅だから、赤帽なんかもゐない。
念仏の家 (新字旧仮名) / 小寺菊子(著)
或は戦争に巻きこまれぬ前はこうでもなかったのかも知れないが、まことに落莫らくばくとしたものである。
中支遊記 (新字新仮名) / 上村松園(著)
豁然かつぜんとして視野の開けた今でも、まだその辺見える限りは、ただ小高い丘や野草の咲き乱れた、高原ばかり! 断崖だんがいと見えて、もう海は見えませんが、ただ、荒涼として、落莫らくばくとして
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
いまその魏延をも除くならば、蜀陣の戦力はさらに落莫らくばくたらざるを得ない。孔明がじっとこらえているのは、そのためであろうと楊儀は察した。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
近所の衆や、親類の者が来て、今日の葬式の支度だけは急いでおりますが、悲劇の家は、何となく落莫らくばくとして、身に沁みるような淋しさがあります。
富岡は馬鹿々々しいと思ひながらも、また、東京へ戻つてからの現実を考へると、落莫らくばくとした感情が鼻について来る。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
その小柳雅子にとうとう会うことができた、その結果がこんなとは、——こんな切ない悲しみ、こんな落莫らくばくとした疲れとは、——こりゃ一体どういうのだ。
如何なる星の下に (新字新仮名) / 高見順(著)
こういう不安は、彼の上に、何よりも堪えがたい、落莫らくばくたる孤独の情をもたらした。彼は彼の尊敬する和漢の天才の前には、常に謙遜けんそんであることを忘れるものではない。
戯作三昧 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
客観写生をおろそかにした人の俳句はたとい豊富な感情をうちに蔵していても、その表現されたところを見ると落莫らくばくとして砂をむ如きものが多い。これは描写がつたないからである。
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
ああ、孔明に先立たれてとり残された劉備。考えてみても、落莫らくばくたるものではないか。わしの落胆、わしのさびしさ、たとえるものもありはしない
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
けれども私はなほ想像する。落莫らくばくたる百代の後に当つて、私の作品集を手にすべき一人いちにんの読者のある事を。さうしてその読者の心の前へ、おぼろげなりとも浮び上る私の蜃気楼しんきろうのある事を。
澄江堂雑記 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
その上前に言ったように、おおきい美々しい鳥を殺したのだという事が、美くしい春の夜らしい心持はしながらも、何処どことなく落莫らくばくの感じがある、そこにも気の弱りを導く一つの原因はあるのである。
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
ここの台所は、いつも落莫らくばくとして食物らしいにおいをかいだ事がない。井戸は、囲いが浅いので、よくねこや犬がちた。そのたび、おばさんは、禿はげの多い鏡を上から照らして、深い井戸の中を覗いた。
風琴と魚の町 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
草も木も枯れて、山路のながめは、落莫らくばくたるものだったが、その夜は、霜でもおりているように、月の光が白かった。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その台所道具の象徴する、世智辛せちがらい東京の実生活は、何度今日きょうまでにお君さんへ迫害を加えたか知れなかった。が、落莫らくばくたる人生も、涙のもやとおして見る時は、美しい世界を展開する。
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
「いや」ふと、彼女の寂寥せきりょうは、落莫らくばくと青春の葉をふるい落した林のように悲しみをかなでてくるのであった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
再会の望みも空しく、若き友忠利を失った沢庵の落莫らくばくは、想像に余りがある。彼は小出吉英に宛てて
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこをヒラリと躍り越えると、落莫らくばくとした冬木立の下に、サーッと響いてゆく水音が聞こえた。
鳴門秘帖:02 江戸の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その曹操の死は、早くも成都に聞え、多年の好敵手を失った玄徳の胸中には、一抹いちまつ落莫らくばくの感なきを得なかったろう。敵ながら惜しむべき巨人と、歴戦の過去を顧みると同時に
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
天顔に咫尺しせきし、また当年の落莫らくばく荒涼たる御所の有様や朝儀のすたれや幕府の無力や人心の頽廃たいはいなど——見るもの聞くものに若い心を打たれながら——実に彼の大志は泉のごとく噴き出したものだった。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
聖覚法印しょうかくほういんとか、蓮生れんしょうとか、分別ざかりの人々にも、なお、叡山えいざんをはじめ、ほかの歴史あり権威ある旧教の法城が、なんとなく、落莫らくばくとしてふるわない傾向があるのに、それらの大法団から比べれば
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と聞え、全軍の士気は、落莫らくばく沮喪そそうしてしまった。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)