翠巒すいらん)” の例文
渓流と翠巒すいらんの相せまった突忽とっこつとした風景がどんなに私を喜ばせたか。そして盆踊の雄大おおしさには私は肝さえ潰したのである。
温室の恋 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
あけてある北側の窓からは、なるほど筑波の翠巒すいらんが一望で、宿の主人の心くばりのこまかさがよく感じられた。
新潮記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
寺の前がすぐ大堰川の流で「梵鐘ぼんしょうは清波をくぐって翠巒すいらんひびく」というすずしい詩偈しげそのままの境域であります。
鯉魚 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
天気晴朗で雲影なく、紺碧こんぺきの湖は古鏡のように澄みわたり、そのおもてに箱根三国の翠巒すいらんが倒影している。
湖畔 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
私たちはくだる。赤い雌松めまつの五、六本をあしらった二重舞台の楼閣ろうかくが次第次第に白帝城の翠巒すいらんに隠れてゆく。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
口がかわいたので、水を飲みに下りてきたのであるが、孔雀くじゃくの尾のような翠巒すいらんと翠巒のいだくしいんとして澄んだ静寂しじまのなかに立っていると、彼は、傷だらけな心を
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼処は北向きの高台に拠っていて、比叡山や如意ヶ嶽や黒谷の塔や森や東山一帯の翠巒すいらんを一眸のうちに集め、見るからすが/\しい気持のする眺めであるが、それだけになお惜しい。
陰翳礼讃 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
南にあたりて箒川ははきがわゆるめぐれるかはらに臨み、しては、水石すいせき粼々りんりんたるをもてあそび、仰げば西に、富士、喜十六きじゆうろく翠巒すいらんと対して、清風座に満ち、そでの沢を落来おちくる流は、二十丈の絶壁に懸りて
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
太田は柿色かきいろの囚衣を青い囚衣に着替えると、小さな連絡船に乗って、翠巒すいらんのおのずから溶けて流れ出たかと思われるような夏の朝の瀬戸内海を渡り、それから汽車で半日も揺られて東海道を走った。
(新字新仮名) / 島木健作(著)
中仙道は鵜沼うぬま駅を麓とした翠巒すいらんの層に続いて西へとつらなるのは多度たどの山脈である。鈴鹿すずかかすかに、伊吹いぶきは未だに吹きあげる風雲のいのしし色にそのいただきを吹き乱されている。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
その人は、風とおしのよい一殿いちでんのすだれをかせて、時めく公卿らしく、大容おおように坐っていた。川をへだてた東山一帯の翠巒すいらんひさしにせまるほどだった。——座にはさきに来ていた客がいて
それにまた情趣に乏しい隅田川などとはちがってあしたにゆうべに男山の翠巒すいらんが影をひたしそのあいだをのぼくだりの船がゆきかう大淀おおよどの風物はどんなにか院のみごころをなぐさめ御ざしきの興を
蘆刈 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
しかも明るくひろくうち開けた上流の空の、連峰と翠巒すいらん濛々もうもうたる田園の黄緑こうりょく、人家、煙。霧、霧、霧。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
高からぬこの山にのぼるとすれば、西に愛宕あたごや、衣笠きぬがさみねかげ、東はとおく、加茂かもの松原ごしに、比叡ひえいをのぞんでいる。さらに北をあおぐと、竹童ちくどう故郷ふるさと鞍馬山くらまやま翠巒すいらんが、よべば答えんばかりに近い。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)