眼前めのまへ)” の例文
此のけむりほこりとで、新しい東京は年毎としごとすゝけて行く。そして人もにごる。つい眼前めのまへにも湯屋ゆや煤突えんとつがノロ/\と黄色い煙を噴出してゐた。
平民の娘 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
新聞で蓮太郎のことを読んで見舞状まで書いた丑松は、この先輩の案外元気のよいのを眼前めのまへに見て、喜びもすれば不思議にも思つた。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
されど汝の眼前めのまへに今なほ横たはる一の路あり、こはいとかたき路なれば汝ひとりにてはこれを出でざるさきに疲れむ 九一—九三
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
風静かに気沈み万籟ばんらい黙寂たるの時に、急卒一響、神装をらして眼前めのまへ亢立かうりつするは蓮仙なり、何の促すところなく、何の襲ふところなく、悠然泥上に佇立ちよりつする花蕾の
心機妙変を論ず (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
もりまくさつちて、双六谷すごろくだに舞台ぶたいごと眼前めのまへひらかれたやうに雪枝ゆきえおもつた。……悪処あくしよ難路なんろ辿たどりはしたが、までときつたともおもはず、べつそれために、とおも疲労つかれさない。
神鑿 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
信吾は、間隔あひだが隔つてゐる為か、何も言はなかつた。笑ひもしなかつた。其心は眼前めのまへの智恵子を追うてゐた。そして、そのうしろの清子の心は信吾を追うてゐた。そのまたうしろの静子の心は清子を追うてゐた。
鳥影 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
あきらかに見、明に考へることが出来るやうに成つた。眼前めのまへひろがる郊外の景色を眺めると、種々さま/″\追憶おもひでは丑松の胸の中を往つたり来たりする。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
ひつかゝりのひとつは、現に彼の眼前めのまへに裸体になつてモデル臺に立つているお房だ。お房は、幾らかの賃銭ちんせんで肉體のすべてをせてゐるやうないやしいをんなだ。
平民の娘 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
かくてかれらはレーギーナ・コイリーをうたひつゝわが眼前めのまへに殘りゐたり、その歌いとたへにしてこれが喜び一たびも我を離れしことなし 一二七—一二九
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
授業が始つてからも、時々眼前めのまへ事物ことがらに興味を失つて、器械のやうに読本の講釈をして聞かせたり、生徒の質問に答へたりした。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
汝の顏のかくるゝや、眼前めのまへに在る物その僞りの快樂けらくをもてわが歩履あゆみを曲げしなり 三四—三六
神曲:02 浄火 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
うちなかで飼はれて居た獣は、ある時は少年時代の友達のやうに、ある時は極く無気味なものゝやうに、私の眼前めのまへをよく往つたり来たりした。
(新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
すくなくも私達の眼前めのまへに、それが幼稚な形にもせよ、既に種々雜多なことが繰返されて居るでは有りませんか。
豐饒な河津の谷は吾儕の眼前めのまへに展けて來た。傾斜は耕されて幾層かの畠に成つて居た。山の上の方まで多く桑が植付けてあつた。蜜柑は黄色くつて居た。
伊豆の旅 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
私の仕事も大分捗取はかどつた。私の眼前めのまへには油のやうに流れて行く千曲川の下流の水がある。みぞれ蕭々しと/\降つて居る。
突貫 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
彼等幼少をさないものを眼前めのまへに見る度に、自分等の少年の時と同じやうなことが矢張この子供等にも起りつゝあるだらうか。丁度自分等も斯樣な風であつたらうか。
大島はよく眺めて來て、島の形から三原山の噴煙まで眼前めのまへにある位だから、この婦人の風俗は吾儕の注意を引いた。右を取るといふものが有り、左を取るといふものが有つた。
伊豆の旅 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
あのパン屋はもとは相應な官吏であつたとか、細君はそれしやの果だとか、どうして夫婦ともナカ/\の洒落者だとか、小母さん達は窓側で互の眼前めのまへを通る藝人の噂をしました。
眼前めのまへにあるソースやからし入物いれものだの、ごちや/\ならべた洋酒のびんだの、壁紙で貼りつめた壁だの、その壁にかゝる粗末の額、ビイルの広告などは、反つて私の身を置く場所にふさはしかつた。
(新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
近代の曙はまだそんなところに殘つて、私の眼前めのまへに息づいてゐるやうであつた。
桃の雫 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
ふと、そんなところへ来る筈の無い老祖母おばあさんの顔が彼女の眼前めのまへに顕れた。
出発 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
その叔父さんの話が食後に出る頃、お節の結婚も眼前めのまへに迫つて来た。
出発 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)