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かわごえ
ふりがな文庫
“
川越
(
かわごえ
)” の例文
西に
川越
(
かわごえ
)
、東に
粕壁
(
かすかべ
)
といわれ、この二ヵ所は
箪笥作
(
たんすづく
)
りの町であります。着物箪笥、帳箪笥、鏡台、針箱、その他
一渡
(
ひとわた
)
りのものを作ります。
手仕事の日本
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
生まれは
川越
(
かわごえ
)
で、米問屋と酒問屋を兼ねた大きな商家の主人であったころには、川越と江戸の間を川舟でよく往来したという。
夜明け前:02 第一部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
後
(
のち
)
に浦和や
川越
(
かわごえ
)
あたりでパッと立った評判を聞くと、あらくれた
博労
(
ばくろう
)
たちには、かえってそれが鬼気に迫って、実際凄かったものとみえる。
江戸三国志
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
この日は少し曇っていて、それでいて道路の土が乾き切っているので街道は塵が多く、
川越
(
かわごえ
)
街道の眺めが一体に濁っていた。
異質触媒作用
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
木下六郎兵衛は
川越
(
かわごえ
)
の
秋元但馬守
(
あきもとたじまのかみ
)
の家臣で、牧野とは遠縁に当っていたし、主計とはごく幼い頃からの親しい友だった。
主計は忙しい
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
▼ もっと見る
爰
(
ここ
)
に
川越
(
かわごえ
)
在の小ヶ谷村に内田という豪農があった。(今でもその家は歴とした豪農である。)その分家のやはり内田という農家に三人の男の子が生れた。
淡島椿岳:――過渡期の文化が産出した画界のハイブリッド――
(新字新仮名)
/
内田魯庵
(著)
埼玉から
川越
(
かわごえ
)
の方をな。だが口でこそ二千俵ですが、いざ買い占めるとなるとなかなか大したもんですからな。
永日小品
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
応仁乱がはじまると関東に
逃
(
のが
)
れ、文明元年心敬の供をして
川越
(
かわごえ
)
の
太田道灌
(
おおたどうかん
)
のもとに招かれた。それから美濃の郡上城に
赴
(
おもむ
)
いて常縁から古今の伝授を受けたのである。
中世の文学伝統
(新字新仮名)
/
風巻景次郎
(著)
これを
我野通
(
あがのどお
)
りと称えて、
高麗
(
こま
)
より秩父に入るの路とす。次には
川越
(
かわごえ
)
より小川にかかり、安戸に至るの路なり。これを川越通りと称え、
比企
(
ひき
)
より秩父に入るの路とす。
知々夫紀行
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
かりにもご公儀お町方の
禄
(
ろく
)
をちょうだいしている者に、さいふをすられるぞもないものですが、いわれた
川越
(
かわごえ
)
育ちの豆やかなお
公卿
(
くげ
)
さまが、存外にまたすみにおけないので
右門捕物帖:15 京人形大尽
(新字新仮名)
/
佐々木味津三
(著)
しかし埼玉県で
雛買
(
ひなか
)
いというのはこれに反して、
婆
(
ばあ
)
さんが
川越
(
かわごえ
)
の
市
(
いち
)
へ雛人形を買いに行き、一つ一つを見立てて、くすぐって笑わぬのを買おうといったり、
臼
(
うす
)
を
挽
(
ひ
)
かせたり
こども風土記
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
小野氏ではこの年
令図
(
れいと
)
が致仕して、子
富穀
(
ふこく
)
が家督した。令図は
小字
(
おさなな
)
を
慶次郎
(
けいじろう
)
という。抽斎の祖父
本皓
(
ほんこう
)
の庶子で、母を横田氏よのという。よのは武蔵国
川越
(
かわごえ
)
の人某の
女
(
むすめ
)
である。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
役場の火事については町の人はなにもいわなくなった、阪井猛太は助役をやめてせがれの巌と共に
川越
(
かわごえ
)
の方へうつった、中学校には新しい校長がきた。浦和の町は太平である。
ああ玉杯に花うけて
(新字新仮名)
/
佐藤紅緑
(著)
来賓の中枕山、湖山、南園上人の三子は
最早
(
もは
)
や説明するに及ぶまい。磐渓は仙台藩の儒
大槻士広
(
おおつきしこう
)
。蘭学を善くし西洋砲術の師範である。嶺南は武州
川越
(
かわごえ
)
藩の儒者
保岡元吉
(
やすおかげんきち
)
である。
下谷叢話
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
家は、もと
川越
(
かわごえ
)
の藩士である。御存じ……と申出るほどの事もあるまい。
灯明之巻
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
川越
(
かわごえ
)
の
喜多院
(
きたいん
)
に桜を観る。ひとえはもう盛りを過ぎた。
紫衣
(
しい
)
の僧は落花の雪を袖に払いつつ行く。
境内
(
けいだい
)
の掛茶屋にはいって休む。なにか食うものはないかと婆さんにきくと、
心太
(
ところてん
)
ばかりだと云う。
綺堂むかし語り
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
そこへ多吉を
訪
(
たず
)
ねて門口からはいって来た客がある。多吉には
川越
(
かわごえ
)
時代からの
旧
(
ふる
)
いなじみにあたる青物問屋の大将だ。多吉が
俳諧
(
はいかい
)
友だちだ。
夜明け前:04 第二部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
「ああ
吃驚
(
びっくり
)
させやアがる、おらあまた、奥の娘のことで、
川越
(
かわごえ
)
の役人でも来たんじゃねえかと思って、ギクリとしたよ」
江戸三国志
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
と言い懸けて向直り、左側の焼芋屋の店へ、正面を切って
揺
(
ゆる
)
いで入る。この店は古いもので、
取
(
とッ
)
つきの
行燈
(
あんどう
)
に、——おいしくば買いに来て見よ
川越
(
かわごえ
)
の、と
仮名書
(
かながき
)
して、本場○焼
俵藤助
(
たわらとうすけ
)
——となん。
湯島詣
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
例えば
川越
(
かわごえ
)
の
広済寺
(
こうさいじ
)
というお寺の中にも、しやぶぎばばの石塔があって、咳で難儀をするのでお参りに来る人がたくさんにあったそうですが、今ではその石がどれだか、もうわからなくなりました。
日本の伝説
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
早く
良人
(
うちのひと
)
がいよいよ御用
命
(
いいつ
)
かったと笑い顔して帰って来られればよい、類の少い仕事だけに是非して見たい受け合って見たい、欲徳はどうでも
関
(
かま
)
わぬ、
谷中感応寺
(
やなかかんおうじ
)
の五重塔は
川越
(
かわごえ
)
の
源太
(
げんた
)
が作りおった
五重塔
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
ここから近い
川越
(
かわごえ
)
藩へ行って、仇討免状を示し、正当な手続きをとれば、捕えられぬこともないが、その間に佐太郎を逃がされると、何にもならない。
下頭橋由来
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
十一屋の隠居の話で、半蔵らはそれが
埼玉
(
さいたま
)
川越
(
かわごえ
)
の方から
伊勢町河岸
(
いせちょうがし
)
へと急ぐ
便船
(
びんせん
)
であることを知った。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
一、
立花左近将監
(
たちばなさこんしょうげん
)
様。
伊豆大島
(
いずおおしま
)
一円。松平
下総守
(
しもうさのかみ
)
様、
安房
(
あわ
)
上総
(
かずさ
)
の両国。その他、
川越
(
かわごえ
)
城主松平
大和守
(
やまとのかみ
)
様をはじめ、万石以上にて諸所にお堅めのため出陣の御大名数を知らず。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
岐
(
わか
)
れ道の石が教えるところでは、
川越
(
かわごえ
)
の城下までまだ、これより三里半。
江戸三国志
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
※
(
するめ
)
にくるんで乾物の荷と見せかけ、かろうじて
胡麻
(
ごま
)
の
蠅
(
はえ
)
の難をまぬかれた話もある。武州
川越
(
かわごえ
)
の商人は
駕籠
(
かご
)
で夜道を急ごうとして、江戸へ出る途中で
駕籠
(
かご
)
かきに襲われた話もある。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
彼女の夫がまだ大きな商家の若主人として
川越
(
かわごえ
)
の方に暮らしていたころのことだ。当時、お
国替
(
くにが
)
えの藩主を迎えた川越藩では、きびしいお触れを町家に回して、藩の侍に酒を売ることを禁じた。
夜明け前:02 第一部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
“川越”の解説
川越(かわごえ)は、武蔵国入間郡の地名。中世には河越とも表記されたが、現在は埼玉県川越で統一されている。
城下町として栄え、古くから小江戸と称された。古くからの「川越」は現在の川越市の中心部にあたり、旧町字名では「大字川越」とも呼ばれた。また現在の川越市東部にも大字川越が存在する。
(出典:Wikipedia)
川
常用漢字
小1
部首:⼮
3画
越
常用漢字
中学
部首:⾛
12画
“川越”で始まる語句
川越城
川越屋
川越喜多院
川越播磨守