尨犬むくいぬ)” の例文
大きな尨犬むくいぬの「熊」は、としをとった牝犬めすいぬだったが、主人の命で、鋭く吠えたてたので流石さすがの腕白連も、ひとたまりもなく逃げてしまった。
戦争雑記 (新字新仮名) / 徳永直(著)
而も、その靴が、子供らしい尨犬むくいぬのようなのではなく、細く、踵がきっと高く、まるで貴婦人の履き料のような華奢な形のものなのである。
思い出すかずかず (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
両側の店先には大きな尨犬むくいぬや、脚の長いほつそりした大犬がごろ/\してゐました。店の人は咡きながら覗き見をしました。
文化村を襲つた子ども (新字旧仮名) / 槙本楠郎(著)
料金を計算すると二ルーブルと七十三カペイカになりましたが、その広告というのが、何でも黒毛の尨犬むくいぬに逃げられたというだけのことなんで。
(新字新仮名) / ニコライ・ゴーゴリ(著)
万年町の縁の下へ引越ひっこすにも、尨犬むくいぬわたりをつけんことにゃあなりませぬ。それが早や出来ませぬ仕誼しぎ、一刻も猶予ならぬ立退たちのけでござりましょう。
註文帳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
彼女は晩餐ばんさん会に列していた。大公爵もいた。ミルハは尨犬むくいぬだった……いや、縮れ毛の羊だった。そして給仕をしていた。
その時白楊ポプラア並木なみきの根がたに、尿ねうをしやんだ一頭の犬は、これも其処そこへ来かかつた、仲間の尨犬むくいぬに話しかけた。
LOS CAPRICHOS (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
月光を浴びて、房々した毛の大きな銀色の尨犬むくいぬ、その織るやうな早足、それが目まぐるしく彼の目に見える。それは王禅寺といふ山のなかの一軒の寺の犬だつた。
背嚢はいのう背負しょって、尨犬むくいぬの皮でこしらえたといわれる例の靴を穿いたまま、「きっとくれる?」と云いながら、ほとんど平たい幅をもっていない、つるつるすべりそうな材木を渡り始めた。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
私はどんなに気取ってみたところで必ず看破みやぶられるにきまっている。それこそ、尨犬むくいぬの正体見たり小悪魔、ということになり、私は足蹴にされるかも知れない。大学生は鬼門である。
メフィスト (新字新仮名) / 小山清(著)
あの禿はげあがったような貧相らしいえりから、いつも耳までかかっている尨犬むくいぬのような髪毛かみのけや赤い目、のろくさい口の利方ききかたや、卑しげな奴隷根性などが、一緒に育って来た男であるだけに
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
ごくやせた一匹の尨犬むくいぬが通りかかった。ガヴローシュはそれをかわいそうに思った。
そこでさ、そういう手合に飲み食いをさせるは言わずもがな、ピアノもなくちゃならねえ、安楽椅子の上にゃ尨犬むくいぬもいなくちゃならねえ——飛んだお笑い草よ。……一口に言やあ贅沢さ。
追放されて (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
尨犬むくいぬに化けたメフィストの魔力を破ろうと、あの全能博士が唱える呪文の中にある、勿論その時代を風靡ふうびした加勒底亜カルデア五芒星術の一文で、火精ザラマンダー水精ウンディネ風精ジルフェ地精コボルトの四妖に呼び掛けているんだ。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
尨犬むくいぬ。じっとしていろ。そんなに往ったり来たりするな。
わたしは、生きた尨犬むくいぬの背中でペンを拭う。
窓の下に死にゆくやうな尨犬むくいぬよ。
メランコリア (新字旧仮名) / 三富朽葉(著)
君が跡ゆく尨犬むくいぬ
泣菫詩抄 (旧字旧仮名) / 薄田泣菫(著)
初めは鉛筆のさきで突いたほどの黒い点でしたが、だん/\大きくなつて豆粒ほどになり、甲虫かぶとむしほどになり、それから急にムクムクツと尨犬むくいぬのやうに大きくなつて
文化村を襲つた子ども (新字旧仮名) / 槙本楠郎(著)
「こまつぶり」でも、廻してゐるのかと思つて、後ろから覗いて見ると、何処どこかから迷つて来た、尨犬むくいぬの首へ繩をつけて、打つたりたたいたりしてゐるのであつた。
芋粥 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
そういう青年らがクリストフを取り巻いていた。あたかも、生命にすがりつくために一つの魂へ取りつこうとうかがってる「待ち伏せの怨霊おんりょう」、ゲーテのいわゆる尨犬むくいぬ、のようであった。
この間もあので驚かしゃあがった、尨犬むくいぬめ、しかも真夜中だろうじゃあねえか、トントントンさ、誰方だと聞きゃあ黙然だんまりで、蒲団ふとん引被ひっかぶるとトントンだ、誰方だね、だんまりか、またトンか
註文帳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「だってみんなが尨犬むくいぬの皮だ尨犬の皮だって揶揄からかうんだもの」
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
尨犬むくいぬです。あいつ等の流義で、御苦労にも1150
まどしたに死にゆくやうな尨犬むくいぬよ。
メランコリア (旧字旧仮名) / 三富朽葉(著)
ある日、けたたましく犬のえる声がするので、内供が何気なく外へ出て見ると、中童子は、二尺ばかりの木のきれをふりまわして、毛の長い、せた尨犬むくいぬいまわしている。
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
京童きやうわらべにさへ「何ぢや。この鼻赤めが」と、罵られてゐる彼である。色のさめた水干に、指貫さしぬきをつけて、飼主のない尨犬むくいぬのやうに、朱雀大路をうろついて歩く、憐む可き、孤独な彼である。
芋粥 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)