寿ことぶき)” の例文
旧字:
(越後に五年、下野に三年、常陸に十年、相模に七年也)弘長こうちやう二年十一月廿八日遷化せんげ寿ことぶき九十歳。くだん柿崎かきざきの哥も弘法行脚ぐほふあんぎやときの作なるべし。
私の記憶は私の四歳頃のことまでさかのぼることができる。その頃私は、私の生みの親たちと一緒に横浜の寿ことぶき町に住んでいた。
これによって考うれば、王朝時代から行われた「内火うちびとまりの寿ことぶき」という儀式と同じようなものであろうと言われる。
大菩薩峠:29 年魚市の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
日もあらず煩いでもするのであろう、むしろ、生命いのちが長くあるまい、と思う念に制せられて、その寿ことぶきを欲するために、常に躊躇ちゅうちょしていたのであったが。
湯島詣 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
歌舞伎座が廿二年に出来るまでは、そのほかにちゅう芝居に、本所の寿ことぶき座と本郷の春木座、日本橋蠣殻かきがら町の中島なかじま座と、後に明治座になった喜昇きしょう座だけだった。
福岡の城主五十二万石、松平美濃守のお邸は霞ヶ関の高台にあったが、勾坂甚内は徒党を率い、新玉あらたまの年の寿ことぶきに酔い痴れている隙を窺い、金蔵を破って黄金かねを持ち出した。
三甚内 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
羅紗問屋寿ことぶき商店の主人西川さんはナカ/\のむずかし屋だ。我儘な独り息子の新太郎君さえその前へ出るとおのずから態度が改まるくらいだから察しられる。店員共はコトリともしない。
脱線息子 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
そしてそれから数十年の後、それらの老優たちの名が、たしか昭和十七、八年頃かと思うが、本所の寿ことぶき座にかかっていたようであった。何かでそれを知って、なつかしく思った事であった。
東京は目のくらむ所である。元禄げんろくの昔に百年の寿ことぶきを保ったものは、明治のに三日住んだものよりも短命である。余所よそでは人がかかとであるいている。東京では爪先つまさきであるく。逆立さかだちをする。横に行く。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
琴婆さんは蓄音器の返礼へんれいにと云って、文句もんくは自作の寿ことぶきを唄うて居る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
寿ことぶき、中山数馬」
(越後に五年、下野に三年、常陸に十年、相模に七年也)弘長こうちやう二年十一月廿八日遷化せんげ寿ことぶき九十歳。くだん柿崎かきざきの哥も弘法行脚ぐほふあんぎやときの作なるべし。
そして窓明りをかしてその米の表面おもてを眺めた。平らにならされた面の上には「寿ことぶき」という字が指で書かれてあった。
「ぜひ伺って、公の寿ことぶきを祝しましょう」
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
其年九月のはじめ安産あんざんしてしかも男子なりければ、掌中てのうちたまたる心地こゝちにて家内かないよろこびいさみ、産婦さんふすこやか肥立ひだち乳汁ちゝも一子にあまるほどなれば小児せうに肥太こえふと可賀名めでたきなをつけて千歳ちとせ寿ことぶきけり。