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勝
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しよう
ふりがな文庫
“
勝
(
しよう
)” の例文
三高教授の安藤
勝
(
しよう
)
一
郎
(
らう
)
氏は人も知る音楽学校の安藤
幸子
(
かうこ
)
女史の亭主で、幸子女史と比べると、ずつと女性的の優しい顔立を持つてゐる。
茶話:02 大正五(一九一六)年
(新字旧仮名)
/
薄田泣菫
(著)
こゝに
眼
(
め
)
を
拭
(
ぬぐひ
)
て
扶桑
(
ふさう
)
第一の富士を
視
(
み
)
いだせり、そのさま雪の
一握
(
ひとにぎ
)
りを
置
(
おく
)
が如し。人々手を
拍
(
うち
)
、奇なりと
呼
(
よ
)
び妙なりと
称讃
(
しようさん
)
す。千
勝
(
しよう
)
万
景
(
けい
)
応接
(
おうせふ
)
するに
遑
(
いとま
)
あらず。
北越雪譜:06 北越雪譜二編
(新字旧仮名)
/
鈴木牧之
、
山東京山
(著)
そこで中西曾七郎が
元氏
(
げんし
)
、名は維寧、
字
(
あざな
)
は文邦、淡淵と号すと云ふことになつた。淡淵が芋生にあつて徒に授けてゐた時、竹腰氏の家来井上
勝
(
しよう
)
の
孤
(
みなしご
)
弥六が教を受けた。
伊沢蘭軒
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
鱗
(
うろこ
)
の
波
(
なみ
)
は、ひた/\と
装上
(
もりあが
)
つて
高
(
たか
)
く
打
(
う
)
つ。——
所謂
(
いはゆる
)
「
石
(
いし
)
げど」の
勝
(
しよう
)
である。
十和田湖
(新字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
美術天子の宋の
徽宗
(
きそう
)
皇帝が、
張戩
(
ちやうせん
)
といふ畫人をして舟に乘じて往いて
山水
(
さんすゐ
)
の
勝
(
しよう
)
を觀て八景の圖を作るやうに命ぜられたといふことも、傳へられてゐる談であるから、八景のはじまりは宋であつて
華厳滝
(旧字旧仮名)
/
幸田露伴
(著)
▼ もっと見る
こゝに
眼
(
め
)
を
拭
(
ぬぐひ
)
て
扶桑
(
ふさう
)
第一の富士を
視
(
み
)
いだせり、そのさま雪の
一握
(
ひとにぎ
)
りを
置
(
おく
)
が如し。人々手を
拍
(
うち
)
、奇なりと
呼
(
よ
)
び妙なりと
称讃
(
しようさん
)
す。千
勝
(
しよう
)
万
景
(
けい
)
応接
(
おうせふ
)
するに
遑
(
いとま
)
あらず。
北越雪譜:03 北越雪譜初編
(新字旧仮名)
/
鈴木牧之
、
山東京山
(著)
再
(
ふたゝ
)
び
云
(
い
)
ふ、
東向
(
ひがしむか
)
うに、
其
(
その
)
八
雲
(
くも
)
、
日暮崎
(
くれのさき
)
、
御室
(
みむろ
)
の
勝
(
しよう
)
に
並
(
なら
)
んで
半島
(
はんたう
)
の
真中
(
まんなか
)
一
処
(
ところ
)
、
雲
(
くも
)
より
辷
(
すべ
)
つて
湖
(
みづうみ
)
に
浸
(
ひた
)
る
巌壁
(
がんぺき
)
一千
丈
(
ぢやう
)
、
頂
(
いたゞき
)
の
松
(
まつ
)
は
紅日
(
こうじつ
)
を
染
(
そ
)
め、
夏霧
(
なつぎり
)
を
籠
(
こ
)
めて
紫
(
むらさき
)
に、
半
(
なか
)
ば
山肌
(
やまはだ
)
の
土
(
つち
)
赭
(
あか
)
く、
汀
(
みぎは
)
は
密樹緑林
(
みつじゆりよくりん
)
の
影
(
かげ
)
濃
(
こまや
)
かに
十和田湖
(新字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
勝
常用漢字
小3
部首:⼒
12画
“勝”を含む語句
勝負
勝手
殊勝
打勝
勝利
景勝
勝田
遠慮勝
自分勝手
御勝手
勝手口
勝敗
勝山
厭勝
大勝利
勝者
入勝橋
有勝
勝手元
勝手許
...