しよう)” の例文
三高教授の安藤しようらう氏は人も知る音楽学校の安藤幸子かうこ女史の亭主で、幸子女史と比べると、ずつと女性的の優しい顔立を持つてゐる。
こゝにぬぐひ扶桑ふさう第一の富士をいだせり、そのさま雪の一握ひとにぎりをおくが如し。人々手をうち、奇なりとび妙なりと称讃しようさんす。千しようけい応接おうせふするにいとまあらず。
そこで中西曾七郎が元氏げんし、名は維寧、あざなは文邦、淡淵と号すと云ふことになつた。淡淵が芋生にあつて徒に授けてゐた時、竹腰氏の家来井上しようみなしご弥六が教を受けた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
うろこなみは、ひた/\と装上もりあがつてたかつ。——所謂いはゆるいしげど」のしようである。
十和田湖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
美術天子の宋の徽宗きそう皇帝が、張戩ちやうせんといふ畫人をして舟に乘じて往いて山水さんすゐしようを觀て八景の圖を作るやうに命ぜられたといふことも、傳へられてゐる談であるから、八景のはじまりは宋であつて
華厳滝 (旧字旧仮名) / 幸田露伴(著)
こゝにぬぐひ扶桑ふさう第一の富士をいだせり、そのさま雪の一握ひとにぎりをおくが如し。人々手をうち、奇なりとび妙なりと称讃しようさんす。千しようけい応接おうせふするにいとまあらず。
ふたゝふ、東向ひがしむかうに、そのくも日暮崎くれのさき御室みむろしようならんで半島はんたう真中まんなかところくもよりすべつてみづうみひた巌壁がんぺき一千ぢやういたゞきまつ紅日こうじつめ、夏霧なつぎりめてむらさきに、なか山肌やまはだつちあかく、みぎは密樹緑林みつじゆりよくりんかげこまやかに
十和田湖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)